富士登山で考える 〜日本人の心のよりどころとしての富士山
太古の昔より、信仰の対象としての富士山は「かみ」の宿る聖地と考えられていた。
■ 雲から顔を出した富士山
深夜2:00 枕ひとつ分しか幅がない雑魚寝状態で押し込まれた山小屋の寝床をはい出し、真夏の流星群の見える空の下、山頂へ向かう。山小屋のある8.5合目はすでに標高3000mを越え、高山病に苦しんでいる人もいる。登山道はすでに人で溢れていて、なかなか前に進んでくれない。富士山の登山シーズンは短く、毎年7月1日の山開きから8月26日の山じまいまでである。この時期に20万人が登ると言うからその混雑具合は半端なものではない。外国人登山者も多く、3割ほどいるらしい。そしてこの登山者数は世界一だというが、江戸時代後期の1800年(寛政12)まで富士山は女人禁制であったらしい。
■ ご来光を望むための深夜の大行列
頂上はまだまだ遠い。真夏にもかかわらず体感気温は零度程度だろうか。風が吹けば寒さはスキー場並だが、それと知らずに来たハーフパンツ姿の若者が寒さに震えている。ヘッドライトをつけた蛇行する登山者の行列を見ていると、「風の谷のナウシカ」に出てくるオームの進行を思い出す。神秘的な風景はメッカ巡礼ならぬ富士巡礼。そういってもいいのかもしれない。
富士山は最終氷河期が終了したあとに大規模な噴火を繰り返したため、高山植物などの生態系が破壊されており、山道に植物は極端に少ない。遠目から見る富士の雄大さを登山者は感じることができないので、ひたすら瓦礫の道を登っていく感覚だ。昔は登山は修行のひとつだったのかもしれない。しかし振り返れば雲の下に樹海や富士五湖、そして富士山自体が影となった「影富士」が大きく横たわり、その景色に飽きることはない。
■ 影富士
高校時代、真冬の晴天時には自転車での通学路の真正面に富士山が見えた。この美しい山は今でも頭に残っている。そして今までは見る対象として存在していた富士山に今まさに、登っている。そしてゆっくりと、そして確実に太陽も昇っている。
■ 富士山頂上付近からのご来光
■ 富士山の神を祭る、富士山本宮浅間大社奥宮
江戸時代には富士山への登拜が庶民にも広く行われるようになり、富士信仰を強めていった。各地に残る富士塚は富士信仰の名残である。現代の日本人にとっての富士山は信仰の対象とは思っていなくても、心のよりどころであり、世界に誇ることのできる存在として我々の中に根付いている。
富士山や伊勢神宮など多くの遺跡や寺社仏閣は、パワースポットに建てられているという。これは日本だけではなく、世界中で世界遺産があるようなところはだいたいがパワースポットらしい。古代インド哲学では「プラーナ」、中国に発する風水では「気」、ハワイでは「マナ」、日本でも「気」や「レイキ(霊気)」と言われる力が噴出する場をパワースポットというが、気功をやっている人などはこうした気を敏感に感じることができるらしい。美に対する意識を拡大してゆくと、パワーを感じやすくなるとも言われる。私も伊勢に行ったとき、背筋がぞくっとするような感覚を持ち、今回同じような経験を富士山でも持った。共に、荘厳さや美を感じたときに感じた事を考えると、この感覚は神聖なるものへの畏敬なのか、場所的な力への触手なのかわからない。しかし、今はまだ科学では証明しきれないだろう何かを人間は確かに感じることができる。現代都市において、身体で感じなくても生活していくことのできる我々はこうした能力が衰退してしまっているが、昔の人々はもっと敏感だったという。そして人の持つオーラ的なものも普通に感じることができたらしい。そうした人たちが見た富士山、そして登った富士山は確実に我々の富士山とは違って見えただろう。
■ 富士山頂上にある富士山本宮浅間大社奥宮の鳥居
スピリチュアルブームの背景も、こうした感覚の復権から来ている。実際、今年富士山に登ったという話をあちこちで聞いたという友人が何人もいる。昨年まではこれほど登ったという話は聞かなかった。これも時代の流れなのだろうか。近代社会が否定してきたものをもう一度我々自身が振り返って検証してみる時期ということかもしれない。江戸時代、富士山の噴火で降灰した江戸の風景を思い浮かべながら信仰の対象としての富士山の長い一本道を下山した。人間社会もこれからは下り坂が続くかもしれない。しかしそれは今まで目指してきたものから見れば下り坂に見えるだけだ。登った坂は帰るときには下る。みんなで楽しく下って帰ろうではないか!!
(追記:07.09.03)

深夜2:00 枕ひとつ分しか幅がない雑魚寝状態で押し込まれた山小屋の寝床をはい出し、真夏の流星群の見える空の下、山頂へ向かう。山小屋のある8.5合目はすでに標高3000mを越え、高山病に苦しんでいる人もいる。登山道はすでに人で溢れていて、なかなか前に進んでくれない。富士山の登山シーズンは短く、毎年7月1日の山開きから8月26日の山じまいまでである。この時期に20万人が登ると言うからその混雑具合は半端なものではない。外国人登山者も多く、3割ほどいるらしい。そしてこの登山者数は世界一だというが、江戸時代後期の1800年(寛政12)まで富士山は女人禁制であったらしい。

頂上はまだまだ遠い。真夏にもかかわらず体感気温は零度程度だろうか。風が吹けば寒さはスキー場並だが、それと知らずに来たハーフパンツ姿の若者が寒さに震えている。ヘッドライトをつけた蛇行する登山者の行列を見ていると、「風の谷のナウシカ」に出てくるオームの進行を思い出す。神秘的な風景はメッカ巡礼ならぬ富士巡礼。そういってもいいのかもしれない。
富士山は最終氷河期が終了したあとに大規模な噴火を繰り返したため、高山植物などの生態系が破壊されており、山道に植物は極端に少ない。遠目から見る富士の雄大さを登山者は感じることができないので、ひたすら瓦礫の道を登っていく感覚だ。昔は登山は修行のひとつだったのかもしれない。しかし振り返れば雲の下に樹海や富士五湖、そして富士山自体が影となった「影富士」が大きく横たわり、その景色に飽きることはない。

高校時代、真冬の晴天時には自転車での通学路の真正面に富士山が見えた。この美しい山は今でも頭に残っている。そして今までは見る対象として存在していた富士山に今まさに、登っている。そしてゆっくりと、そして確実に太陽も昇っている。

『本朝世紀』によると1149年(久安5)に末代(まつだい、富士上人)が山頂に一切経を埋納したと伝えられている。いまも富士山頂出土と伝えられる埋納経が浅間神社に伝わっている。 富士山頂には富士山本宮浅間大社の奥宮があり、富士山の神を祭る。そのため、富士山の8合目より上の部分は、登山道、富士山測候所を除き、浅間大社の境内である。*引用元

江戸時代には富士山への登拜が庶民にも広く行われるようになり、富士信仰を強めていった。各地に残る富士塚は富士信仰の名残である。現代の日本人にとっての富士山は信仰の対象とは思っていなくても、心のよりどころであり、世界に誇ることのできる存在として我々の中に根付いている。
富士山や伊勢神宮など多くの遺跡や寺社仏閣は、パワースポットに建てられているという。これは日本だけではなく、世界中で世界遺産があるようなところはだいたいがパワースポットらしい。古代インド哲学では「プラーナ」、中国に発する風水では「気」、ハワイでは「マナ」、日本でも「気」や「レイキ(霊気)」と言われる力が噴出する場をパワースポットというが、気功をやっている人などはこうした気を敏感に感じることができるらしい。美に対する意識を拡大してゆくと、パワーを感じやすくなるとも言われる。私も伊勢に行ったとき、背筋がぞくっとするような感覚を持ち、今回同じような経験を富士山でも持った。共に、荘厳さや美を感じたときに感じた事を考えると、この感覚は神聖なるものへの畏敬なのか、場所的な力への触手なのかわからない。しかし、今はまだ科学では証明しきれないだろう何かを人間は確かに感じることができる。現代都市において、身体で感じなくても生活していくことのできる我々はこうした能力が衰退してしまっているが、昔の人々はもっと敏感だったという。そして人の持つオーラ的なものも普通に感じることができたらしい。そうした人たちが見た富士山、そして登った富士山は確実に我々の富士山とは違って見えただろう。

スピリチュアルブームの背景も、こうした感覚の復権から来ている。実際、今年富士山に登ったという話をあちこちで聞いたという友人が何人もいる。昨年まではこれほど登ったという話は聞かなかった。これも時代の流れなのだろうか。近代社会が否定してきたものをもう一度我々自身が振り返って検証してみる時期ということかもしれない。江戸時代、富士山の噴火で降灰した江戸の風景を思い浮かべながら信仰の対象としての富士山の長い一本道を下山した。人間社会もこれからは下り坂が続くかもしれない。しかしそれは今まで目指してきたものから見れば下り坂に見えるだけだ。登った坂は帰るときには下る。みんなで楽しく下って帰ろうではないか!!
(追記:07.09.03)