花見の時期もすぐそこに
きっかけはいくつかある。2−6歳の時は父親の仕事の関係でカナダ・トロントにいた。幼い頃に異文化に触れた経験は今でも僕の人格形成に大きな影響を与えている。帰国時にはじゃんけんすら出来ず、いじめられた事もある。その後も何度か転勤があり、仲間に入り込む前に引っ越してしまうようになると、仲間の輪から少し引いた場所で眺めながら自分の居場所を探し出すようになっていた。今思えば中学の時に今の家に落ち着いてから10年 25歳くらいになってやっと自分の居場所を見つけた気がする。生まれてからずっと同じ場所で育った人と、転々と移動してきた人とでは自ずといろいろな事が違ってくる。その違いは人格形成にも大きな影響を与えるし、趣味思考にも違いが出てくると思っている。僕が気が合うと思った友達に帰国子女の割合が多いのも偶然ではないはずだ。
長期の海外一人旅が僕に大きな自信を与えてくれたという話は以前に書いた。5年に一度は日本でついた“常識や偏見という垢”を落とすために旅に出る事は続けていきたいと思う。
今年は30歳になる歳だなんて自分でも信じられない。大学院を卒業したときに立てた目標を達成しなくてはならない年だ。今年はあらゆる意味で、まいてきた種の花を咲かせる年だと思っている。30歳はいろんな意味で転機の年のようだ。転職する人、結婚する人、区切りがいいだけなのだが、30歳を1つの区切りにする人は多い。去年始めた同窓会花見も毎年開催する事になった。「50歳になってもみんなで酒飲みながら花見できたらいいな!!」などと話している。
桜はスゴイと思う。毎年花を咲かせるのだから。僕らが咲かせる花はそう多くはない。でも、毎年桜の花を見ながら、みんなが咲かせるであろう大きな花の話を聞くのを楽しみにしている。50歳を過ぎ、だんだん花が散っていく姿を想像するのは寂しいが、そうした事も含めて、ひとつの花を咲かせるきっかけを作れた事を嬉しく思う。
この記事に対するコメント
世の中にはまさにこの人!!っていうような格好いい大人って少なくて、反面教師の固まりで自分が格好いいと思う大人像ができている。その格好良さって自分の価値観の表出だと思うんだけど、そうした理想を追い求める事はすごく重要だと思う。自分は自分と思っていても、一人で生きているわけではないので、結局は人から見られている自分がその人の評価になる。20歳のとき30歳の人たちが「可塑性」という話で盛り上がっていた。コミュニケーションの重要さ、難しさを実感した今になってその意味が少し分かる。
私の親も転勤族で、幼稚園から小学校の間で
横浜、千葉、神戸、千葉っていう感じで引越しました。
神戸では標準語でバカにされ、神戸から千葉に帰ると今度は
関西弁をおもしろがられて、今なら調子に乗って関西弁話して
人気者になろうとするんだろうけど、その当時はとても嫌でした。
そんな経験から、周りにすごく気を使う人になったように思います。
幼馴染みがいるって羨ましいと思いますよね、転勤族の子供は。
そして「30歳までにこうなりたい」って目標、私もありました。
今は30を超えて、20代に思い描いていた自分になっているかというと
60%ぐらいかな?っと。
100%の花が咲いちゃうとそこで、止まってしまうので
これはこれで、OK?と思ったりして。
じゅんぺい君は、高い高い目標を持って「有言実行」しようとしている。
とても潔くてカッコいいですね^^。楽しみです。