こころとからだの建築家BLOG

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東西文化度比較 〜文明と文化のこれからの関係

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      散切頭をたたいて見れば 文明開化の音がする
      総髪頭をたたいて見れば 王政復古の音がする
      半髪頭をたたいて見れば 因循姑息の音がする

     断髪令が出され、廃藩置県が行われたのが明治4年(1871年)それから136年。現代人の頭をたたいてみればどんな音が響いているのだろうか。そして文明開化が行き着いた先にはどんな文化があったのだろうか。

     はじめに“文明”と“文化”の語が持つ意味を紐解いてみよう。
    【文明】  〔civilization〕
    (1)文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。
    (2)人知がもたらした技術的・物質的所産。

    【文化】 〔culture〕
    (1) 社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義に おいては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
    (2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
                   (引用元 三省堂 国語辞典)
    それぞれまとめると
    (1)
    “文明”=都市化・高度化した文化 
    “文化”=行動様式・生活様式の総体

    (2)
    “文明”=物質的所産
    “文化”=精神活動的所産

    と2つの視点から2語を見ることが出来る。私自身、今までは“文明”と“文化”についてはなんとなく同義に近いものとして認識しており、はっきりその言葉や意味の使い分けを意識したことがなかった。しかし以前から日本の東西における文化度の違いはどこから来るのか考えていて、その根底には“文明”と“文化”の志向の違いがあるのではないかと考え始めている。

     東西の文化度の違いを最初に認識したのは約20年前。中学生の時、祖父母の家に遊びに行った京都の駅においてだ。電車の切符を買うのにコインを入れようとしたら、低い位置に何枚もまとめて入れることのできる投入口があった。


    ■ 一度に何枚も硬貨を投入できる券売機

     今でこそこのタイプが普及しているが、それまでは高い位置に投入口があり、一枚一枚入れる古いタイプしかなく、全部まとめて入れることの出来た感動はいまだに覚えている。このタイプの券売機は関東ではまったく見たことがなかった。このちょっとした配慮こそが“文化”だと今は思うのだが、そのころは単純に歴史のある京都ってすごい!!と思ったのを覚えている。
     それから20年。西の文化度の高さを何度か感じてきたが、特に祖父母が住む沿線の阪急電車に乗っていて乗客の視点に立って考えられた点がいくつもある。ここで私が気づいた例をいくつか挙げてみよう。

    ■ 阪急電鉄に見られる文化度の高さ 〜先進性と保守性
    ・一度に複数枚のコインを投入できる券売機
    ・関東でパスネットができる何年も前に、
       各線共通カード『スルッとKANSAI』を実現
    ・共通カードでの改札の際、最低料金が入っていなくても入場でき、
       下車時に精算すればよいので急いでいても改札できる。
      (関東はいまだに最低料金が入金されていないと改札できない。)
    ・車両出入り口の両脇が広い
      (ここに人が立っても出入りに邪魔にならない)
    ・阪急伝統色である小豆色のマルーンカラーを守る
      (電車の色も街並みを構成する大きな要素である)
    ・壁面広告がない
      (広告に溢れている空間が乗客にとっていい空間だとは思わないから
              阪急アドエージェンシーの回答)
    ・電車の揺れが少ない
    ・駅のベンチにクッションがついている(高齢者にも優しい)
    ・木目調パネルと抹茶色の椅子貼地の和を意識したインテリア


    ■ 阪急電車の広告が少なくすっきりしていながらも温かみのあるデザインの車内


    ■ 阪急電車の伝統色を守り続ける外観


    ■ ベンチに付けられた高齢者にも優しいクッション

     私が気づいただけでもこれだけ挙げることが出来る。そして阪急電鉄の先進性としては自動改札の設置、中吊り広告の設置などなど、これ以外にも多くの「世界初」「日本初」の試みがある。ターミナル百貨店の建設、沿線開発ともに住宅ローンを日本で最初に組めるようにしたのも阪急である。(参考HP
     
     これらの文化度の高さには、阪急電鉄・阪急百貨店・阪急阪神東宝グループの創業者であり、阪急ブレーブス、宝塚歌劇団の創始者としても知られる小林一三の思想が色濃く反映されており、顧客の利便性を第一に考える『大衆第一主義』が見て取れるのだが、こうした思想を継続して行くためにはトップダウン的な思想だけでは長続きしない。そこには広く文化的な土壌は必要不可欠であり、先進性と保守性のベストマッチングこそ高い文化度の証であり、それが関西には根付いているというのが私が感じる関西の風土であり、“文化”度の高さだ。ここでは電車環境の例を出してあげてみたが、このほかにも文化度の高さを感じる例はびっくりするくらい出てくる。それだけ東京という都会が別の“文化”を持ってしまっていると思わざるをえない。

     ここで言う“文化”はいわゆる芸術的文化財とはまた違ったレベルにおける“文化”であり、ここでは“文化”の有り様を以下の3つのレベルに分類してみることにより、“文化”と文化度についてさらに考えてみる。

      ・個人における文化(世代・性別を含む)
      ・地域における文化(個人文化の総体)
      ・芸術的文化財における文化

     “地域における文化”や“芸術的文化財における文化”はイメージがつきやすいと思う。このように通常ある程度の規模を持つ集団に対して用いられる “文化”ではあるが、現代社会においては“個人における文化”について考えることが必要だと思い始めている。なぜなら、“文化”に対する“文明”の力があまりにも大きくなりすぎて、“文化”を生み出す余地が圧倒的に少なくなっているからだ。そして、“文明社会”の方が “文化社会”よりも一般的に支持されやすい。日本も文明開化の時代から、そして戦後の貧しさの中からひたすらに“文明”を追い求めてきた。ここで気を付けなくてはならないのは、“文明”と“文化”の混同である。“文明的な生活”と“文化的な生活”は交点こそあれども一致はしない。そして物質的な豊かさを存分に享受している我々が真に文化的であるかは大きな疑問である。現代社会においては情報はネットで検索すればすみ、スイッチひとつで料理も出来、空調された環境で、便利に快適に生活できるがゆえ、文明的な生活においては、文化を生み出す余地が圧倒的に少ない。“文化”はある程度の豊かさの上で熟成されるが、“文明”に熟成はない。ひたすらに大きくなり続けるだけだ。この違いはアメリカ型社会とヨーロッパ型社会に当てはめることも出来るだろう。

     ここで“個人における文化”に話を戻そう。“文明”はひとくくりにすることが出来る中で、“文化”がひとくくりに出来ず、さらには個人にまで還元しないと把握できなくなっている背景には、特に都市部における地域コミュニティの喪失、グローバリゼーションによる地域性の喪失、インターネットによる情報の均質化などが挙げられる。これらの要因を作り出しているものはまさしく“文明”の力であり、“文明”の狭間からかろうじて“文化”が顔を出しているというのが現在の“文化”であるといえるのかもしれない。そしてこうした“文明”中心のありかたは、東京と関西を比較すれば、東京の方が色濃く見て取れ、“文明”中心社会の中には成熟した“文化”は見いだしにくい。先にも書いたが、東京よりも関西の方が確実に歴史に根ざした文化度が高いと思うのだ。そこには歴史的な背景が存在し、よりグローカルな独自文化のありかたを示しているのは関西だろう。歴史性の上に都市を構築している関西と、歴史的なコンテクストをほとんどなくしてしまった東京とでは、その文化度は違ってしかるべきだ。時間は短縮できないのと同様に、歴史は簡単には作り出せない。歴史が“文化”を作るのだとすれば、“文明”を作り出すのは人間の欲望だろうか。そうだとすれば、“文化”の分が悪いのは目に見えている。現在出てきている多くの問題は“文明”における“文化”の浸食からきており、新しい“文化”の創造は21世紀の大きな課題になってきている。こうした状況の中で、熟成することなくひたすらに大きくなり続ける“文明”を制御できるのは“文化”だけである。そして“地域における文化”の影が薄くなっている状況において必要になってくるのは“個人における文化”の集積であり、“文化”の形式も確実にかわっているのである。“個人における文化”を進化させ、それを個や一部の集団の中でに終わらせるだけでは“オタク”で終わってしまう。“文化”が“文明”と対等に進化し、制御していく、ためにはこの“個人における文化”を有効に積層していくことが不可欠である。

     ここでいう“個人における文化”とは

      知識(情報を広く収集して多角的に分析できる力)
      技術(持続可能な社会のために活用できる術)
      教養(知識と技術を有効に活用できる思想)

    であり、これは新しいことでもなんでもないが、これらを“個人における文化”と位置づけ、新しい“文化”のあり方として再認識し、さらにこれらを有効に積層していくことがこれからの時代には必要であろう。そしてここで参考になるのは、東京の先進性と国際性を目指した“文明”指向の文化ではなく、歴史性に根ざした“文化”であり、関西をはじめとする地方の“文化”である。極端な例えだが、阪神タイガース展を大阪歴史博物館で開催してしまうような歴史を作り出し、維持していく“文化”こそが実はひとつの鍵を握っていると思っている。

     「茶髪頭をたたいて見れば 何にも響かず音もせず」
     「斬新頭をたたいて見れば 平成維新の音がする」
    できれば後者を歴史に残したいものである。

                    (2007.11.09 加筆・修整)
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    この記事に対するコメント

    いま大学で広告の勉強をしていますが、今回の”文明””文化”のお話を読んで共感できる部分がけっこうありました。
    私もここ何年か、企業の利益ともう少し健全で進歩的なパブリックがなんとか結びつかないものかと考えています。私の考えでは、まず両者の精神的な成長が不可欠だと考えています。少し掘り下げると、あたりまえですが企業もパブリックも人が集まったもの。つまりは現代人のこころや意識を反映したものが文明であり、その総体を表しているのが広告なのだと思うので、難しいかもしれませんが逆に広告の作り手が公共の立場から、もしくは一個人として文明による文化の圧迫にさりげなく警鐘を鳴らすようなメッセージを送ってみることで、企業側の意識を変えるような現象を起こすことも出来るのではないでしょうか?
    とし | 2007/12/22 1:47 AM
    温かみや郷愁を想うようになったのは、私もつい最近のことです。もっと若い頃はステンレスのシャープな車両がかっこいいと思っていましたからね。阪急カラーをダサイと言う人たちもいますが、そのダサさが今見直されるべきなのだと思っています。
    管理人 | 2007/11/14 1:26 AM
    阪急沿線で育った私としては,あの温かい雰囲気をかもし出している電車に,なんともいえない懐かしさを感じます。

    特に木目と深いグリーンのシートは,まるで我が家に帰ってきたかのような安心感を与えるのですね。

    そして阪急沿線は美しい街並みも多いですね。おばあちゃんの住んでいた箕面は特に好きな町です!
    Hiro。 | 2007/11/10 1:10 AM
    コメントありがとう。

     首都圏の電車特有の文化というのはおもしろいですね。たしかにあの異常な空間では広告も息抜きになっているのかもしれない。あとは程度の問題でしょうか。

     車内吊りが重要な媒体なのはわかるし、企業からすれば有効に利用したいだろうけれども、建築や公共哲学のスタンスからコメントすると、日本人のパブリック意識の欠如は広告にも現れていると思っていて、景観を乱すものを無秩序に公共空間に設置する姿勢には大きな疑問を持っています。(これは日本の街並みの醜さにも通じるものがあり、日本の歴史的な都市国家の不在など、いくつかの大きな要因がパブリック意識不在の国を作っているのですが・・)おもしろい広告は大好きですし、必ずしも広告全部が悪と言うことではないけれども、たとえばタバコの煙は避けられないのと一緒で、街並みや電車の中などの公共空間では、見たくなくても否応なしに目に入ってしまう状況を作ってしまうことは極力避けるべきで、企業のスタンスからすればそれが狙いでしょうけど、パブリック意識からすればNoなのではないかと思っています。車内広告の量は“文明”(資本重視の広告)が“文化”(パブリック意識)を支配しているいい例だと思ってます。でも広告=アートと見れる位のレベルのものになれば話は変わるのかもしれませんね(^^)
     ヨーロッパの人が東京をエキサイティングな街だと感じ、我々日本人がヨーロッパの整然とした昔ながらの街並みを美しいと感じる。文化の違いと言えばそれまでですが、少なくともこれから我々が目指すところははっきり認識しておきたいところです。そのためにまずは“個人における文化”度を高めて、議論できる土壌を作ることが必要だと思っています。

     広告業界の人が単体のおもしろさだけではなく、パブリック意識についてどう考えているのか興味深いところです。
    管理人 | 2007/11/09 5:09 AM
    じゅんぺい

    興味深い内容だね。そしてタイムリー
    先日関西に行っていて、たまたま阪急電車に乗ったよ。
    そこで連れと「この電車広告がないね、なんかがらんとしててさみしい」と話していたんだ。これは慣れもあると思うけど、文明なのかなと感じるよ。仕事柄かもしれないけど、電車に乗ると無意識に車内広告に集中していて、ついつい読んでしまう。いい広告もあれば、そうでないものもたくさんあって、正直面白い。電車の広告って広告媒体の中ではとても重要で、テレビ・インターネットに勝るとも劣らないくらいの影響力があるんだ。エレベーターの中でみんなが階の部分を見ちゃうのと一緒で、人は近くに他の人がいると、無意識に上を見たり、何かに集中しないとダメなんだって。まぁそう考えると、混雑が激しい首都圏の電車独特の文化なのかな。見る人が違えば、感じることも違う。これも個人における文化でしょうか。
    toshi | 2007/11/08 10:39 AM
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