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真の暗闇の世界で 〜光のない闇は存在するのか?

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     「闇が欲しい」無性にそう思う時がある。都会の夜は闇ではない。旅行に行くと、都会にはない夜の闇に入り込むことができる。足下さえもおぼつかない真っ暗な夜の闇。なぜか心地よいこの感覚。身体と外気との境界さえわからず、暗闇に解けていくような感覚。逆に闇が身体に入り込み、暗闇と一体化するような感覚。皮膚感覚だけ取りだせば体温と同じ温度の湯船に使っているときの感覚に近いかもしれない。

     そして先日。今まで体験したことのない真の闇を体験することができた。
    Dialog in the Dark
    ダイアログ・イン・ザ・ダークは、日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会です。1989年ドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士のアイディアで生まれ、その後、ヨーロッパ中心に70都市で開催、すでに 200万人が体験しています。
     参加者は、その中を普段どおりに行動することは、不可能です。そこで、目の不自由な方に案内してもらいます。案内の人の声に導かれながら、視覚の他の感覚に集中していくと、次第にそれらの感覚が豊かになり、それまで気がつかなかった世界と出会いはじめます。森を感じ、小川のせせらぎに耳を傾け、バーでドリンクを飲みながら、お互いの感想を交換することで、これまでとはすこしちがう、新しい関係が生まれるきっかけになります。(引用元) 
     日本でも2000年から開催され2万人近くが参加しているので、このブログを読んでくれている方の中にはすでに体験された方もいるだろう。もしまだの方は是非一度足を運んで頂きたい。それぞれ感じることも、この体験自体の意義も違うと思う。目を閉じている状態とも全く違う、目を開いていても何も見ることができない闇がそこにはある。いや、そこは闇ではない。こんな不思議な感覚は他では体験できないだろう。闇は光があって初めて意識できる。光の全くない状態では闇は存在しない。そう、闇の中にいることを意識することがなかった不思議な体験だった。

     五感がすべて正常な人は外界からの情報のうち、80%以上を視覚からの情報でしめており、その割合はここ数十年でさらに増加しているという。さらにここ30年で五感の感度は半分に落ちているという研究者もいる。その背景にPCや携帯の影響、そして自然から切り離された安全な都市における生活の影響があることは疑う余地がない。

     例えば同じ「見る」でも、我々人間は主に視覚で光を「見る」が、コウモリは超音波と視覚で「見る」。コウモリが真っ暗闇でも洞窟の中を自由に飛び回れるのも、この超音波を使っているからであり、イルカも同じだ。それぞれ、環境に適応した方法で「見る」ように進化してきた。しかし興味深いのは種類こそ違え、“超音波”も、視覚が見ることのできる“光”も共に電磁波の一種ということである。そしてこの電磁波が身体に与える影響はまだまだ未開拓の領域だ。科学的には可能性も大きいが、実際は様々なリスクも抱えている。

     現在の人間は洞窟で暮らすコウモリとは違い、日の当たる場所で生活しているので、視覚からの情報に頼ることができる。それはコウモリのような超音波を使う能力が発達しなかったのは、環境の違いにほかならない。さらに最近の脳科学研究で、実は人間の皮膚が色を感じることができることも明らかになってきた。これまでも、目が見えない人でも色を感じられることは知られていた。しかし、実際に皮膚が色を感じることができることがわかると、そこにはいままでに想像もしなかった新たな可能性が見えてくるはずだ。視覚を介さない状況で皮膚が感じ取ることのできる色の世界。この話を“Dialog in the Dark ”のアテンド(目の不自由な方)ミキティに話したのだが、彼女は皮膚で色を見分ける未知の世界に興奮しているようだった。もしかしたら将来、皮膚でものを見るように人間も進化するかもしれない。そこにはどんな世界が見えるのだろう。視覚に頼っている今の我々には全く想像ができないが、その時の世界を想像しながら“Dialog in the Dark ”を体験してみると、暗闇にも新しい今まで見たことのない色が付くかもしれない。

     視覚からの刺激は全くない状態ではあったが、素晴らしく刺激的な体験だったことは間違いない。もし目が見えなくなったら・・と、ときどき考えることがある。目の不自由な方やご家族の誤解を恐れずに言えば、「なんとかなるかもしれない」この体験によって、そしてアテンドのミキティに勇気づけられた今はそう言えるような気がする。

     闇は光があって初めて存在する。光の全くない状態では闇自体が存在しない。“Dialog in the Dark ”そこは我々の日常からすれば闇ではあるが、入った途端そこは闇ではなくなる。我々の視覚世界では表現できない新しい世界であった。

    CULTURE | permalink | comments(5) | - | -

    この記事に対するコメント

     何も見えない状態だと、無意識に黒を想像しているけど、実は映像が何もインプットしていない状態で見えているのは黒ではないのかもしれない。闇=黒という図式が黒を見せている気がします。意識されないとそこには色が見えないという言い方があっているかもしれません
     死に対峙すると暗闇になるっていうのは少し意外でした。なんとなく色のある華やかな世界を想像してしまうのはテレビの影響なのかもしれませんね。
    じゅんぺい | 2007/10/24 3:03 AM
    目が不自由な人はその分、聴覚が優れてることが多い気がする。
    音楽の分野で活躍されている人が多いしね。
    無音部屋?とかいうのには、人は長時間いられないと聞いたことがあるような。。。
    話がそれた。暗闇の話だった。
    りー | 2007/10/23 8:57 PM
    二度ほど「暗闇」を体験したことがあります。
    どちらも、死に対峙したときですが・・・。

    死があるから生があるんだと
    「認識」でなくて「感じた」瞬間です。。。
    | 2007/10/22 7:45 PM
    今まで、うん十年生きてきて、
    ほんとの暗闇の世界を経験したのはただ一度。
    高校1年の時に訪れた山口県の景清洞での経験だけです。

    ほんとうの暗闇って、自分の手が見えないから・・・
    おかげで水死しそうになっちまった(笑)
    kousien | 2007/10/22 7:17 PM
    「何も見えない」っていう感覚は =黒 なのかなぁ とか
    もしかして =白 だったりとか、というよりも
    視覚的な「色」を想像している時点で、
    自分の考えや感覚は的を得ていないのか。
    なんてことを考えたけど、体験してみたい。それが一番ですよねっ
    名古屋でも展示がないかなぁ
    (なかなか東京に行く機会がないのです)
    あらし=いがちゃん | 2007/10/22 12:57 PM
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