こころとからだの建築家BLOG

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続・脱エネ 団塊世代の農村移住 〜もの作りの根源としての自給自足

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     世界には自給自足の生活をしている人々がまだまだたくさんいる。彼らは現代社会に住む我々の物質的な豊かさとは無縁だが、“豊かさ”という言葉さえ多様化し再定義せざるを得ない今の時代、私が目指すのはもの作りの根源としての自給自足の生活なのかもしれない。改めてそう思った今年の夏だった。

    ■ 栃木県那須郡那珂川町大那地に叔父の買った土地

     定年を再来年に控えた叔父が栃木の山奥に土地を買った。その面積ざっと1000坪。車で10分走らないと携帯さえ通じなく、ネットで地図を調べて見ても何も写らない山の中。敷地内をそのまま飲むことのできる清水が流れ、水が綺麗なところにしか生えないわさびも生えているこの土地で、叔父は定年後に自給自足の生活を始めるという。

    ■ 敷地内の清水 そのまま飲めるし、わさびも生えているらしい

     敷地内には立派な板倉が二つに平屋の民家が一棟。建築を仕事にしていた叔父はこれらも自らリノベーションし始めている。敷地内の杉を製材し、内装はこの杉をふんだんに使った家にするという。建築も自給自足だ。ここでの生活では選ぶものも徹底して、建材も食材もすべてからだに悪影響のないものを選ぶという。もちろん野菜は無農薬の有機栽培で玄米食。農薬に汚染された牛から取られて出来た乳製品、肉類はいっさい口にしない。たばこと酒はからだに悪くないという説明はちょっと納得いかないのだが(笑)建材についても、接着剤に含まれるホルムアルデヒドなどの化学物質を徹底的に排除するため、キッチンカウンターの裏ですら合板を使っているものは使わない。水は井戸から引き、飲料用に清水を山の上から引いてくる。浄化槽も法定基準よりもさらに厳しく、魚が泳げるレベルにまで浄化するものを選ぶ、生ゴミはそのまま肥料として使い、夏も涼しいので冷房は必要なし、暖房は敷地内の木を薪として保存し薪ストーブを焚くなどと環境配慮も出来る限りのことをする。

    ■ ゲストハウスになる予定の2棟の板倉 この辺りは板倉がほとんどだ 

     まだ仕事をしながらの月に1回の通い作業なので、来ては雑草を刈り、来ては雑草を刈りという作業をしながら環境を整えている。今回私は一緒に住む予定の祖母に付き添って、軽トラックを運転し、植木や荷物を運び、植木を植えたりしながらおいしい空気とマイナスイオンをたっぷり浴びてきた。まだまだ元気な祖母は日本のターシャになると息巻いている。肉体的には楽ではないだろうが、無駄なストレスに悩まされることはなく、何よりもよく寝ることが出来るだろう。しかし自然を相手にしながら、日の出とともに起き、日の入りとともに寝る。こんな生活も悪くない。

    ■ 縁側からの眺め この部分を畑にする予定らしい

     いつの頃からか、「衣食住を楽しむ」というのが私のテーマになっていた。もちろんお金を使って“消費”として楽しむのではなく、頭と手を使って楽しむ術を考えながら学生時代、“衣”が好きでいろいろなブランドの服を見てきては刺激を受けて自分で作っていた。外で食べた美味しい“食”を自分で作ってみて楽しむようになった。建築を仕事にして“住”にも関わるようになった。しかし、ありものの布や素材や既製品で作る限界はいつも感じている。できれば服を作る布や糸から作りたい。料理する食材も作りたい。建材も既製品を選ぶのではなく自分で作りたい。こうしたこだわりが自給自足生活への憧れに向かわせているのかもしれない。

     最近、電気釜ではなく鍋でご飯を炊いているのだが、これがまた抜群に美味しい!!さらに自分で田んぼを耕して作った米を鍋で炊いて食べることが出来れば、そのおいしさは想像を絶するだろう。農家の方に言わせればそんな甘くはないと「最初のうちだけだ」と言われそうだがそうした批判も甘んじて受けよう。

    以前にこんな公式を書いたことがある。(*参照

      α(払ったお金)+
       β(手に入れるまでにかけた労力・時間)+
        γ(デザイン・機能のお気に入り度)+
         Δ(そのものに対する思い出・依存度)
           = 愛着度      αβγΔは各人における固有係数

     この公式からすると、自給自足は(手に入れるまでにかけた労力・時間)と(そのものに対する思い出・依存度)が最大値に近くなる。残念ながら私はお金で買ったものには自分で作ったものほどの愛着は持てない。

     叔父は都内にいるときでも味噌・醤油を自分で作っている。これがまた素晴らしく美味しいらしい。醤油も美味しすぎて火を通すのがモッタイナイくらいだという。一度食べてみたいものだ。私自身、今までは素材の味を味わうよりも、凝った味付けの料理が好きだった。しかし、敷地に生えているミョウガや近所のおばあちゃんにもらったキュウリやカボチャ、産直センターで買ってきた大量の野菜を帰ってから食べていたのだが、凝った味付けをしなくても塩ゆでしただけで美味しく、しばらくの間質素ながら豊かな菜食生活が続いた。

     ちなみに、一年間の米の消費量を一人60kgとすると、120屬凌綸弔必要になるという。この土地には最初は3人が暮らすので自給自足をするとすれば最低360屬必要となる。

     私自身、現在は都心に住み、その利便性を享受しているが、もともと都会に対する憧れも依存もあるわけではない。電話を引けばインターネットはADSLが通じるらしい。携帯がつながらないような山奥で何か問題があるかと考えてみたがこれといって思い浮かばない。冗談交じりに叔父が「あの辺空いてるからログハウスでも建てていいよ」と言ってくれた。もともとどこで何をしていても生きてけると思っているので「それもいいな〜」と思っている自分がいる。自給自足がどこまで可能なのかまだまだ想像もつかないが、私も時間を見て手伝いに行きたいと思っている。もしかしたらそのまま居着いてしまうのも可能性もあるかもしれない。

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    この記事に対するコメント

    ここまでの自給自足は自信ないけど、いつかは田舎に住みたいと私も思ってます。何年先になるやら(ToT)

    その時は、ご指導願います。
    ひがこ | 2007/09/13 5:06 PM
    素敵!!!
    写真をみて、相当和んだ★
    きっと、蛍もいっぱいいるんだろうね。
    ちづる | 2007/09/04 10:28 PM
    い〜な〜。
    素直に羨ましい。

    サワイ | 2007/09/04 9:53 PM
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