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日本の未来の色と投票率 〜選挙は義務化するべきか?

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     先月は都知事選に区議会選と連続して選挙が行われたが、その中にネット上で話題をさらった都知事選候補者がいた。「日本沈没!!」などと言い放つ彼の立候補は端から見れば非常識な冷やかし立候補と言うことになり、メディアも取り上げることはなかったが、これが思わぬかたちでニュースになった。

     通常、時間と放映回数が決められている政見放送が、動画ポータルサイトの YouTube でアップされ、東京都選挙管理委員会がそれを削除するよう要請したというニュースだ。著作権の絡みかと思えば、どうやら正式な理由はそうではないらしい。理由は公職選挙法ではインターネットでの選挙活動を禁止しており、公平を期すため政見放送の放送時間や回数等を規定しているからだという。この規定により、いつでも見ることができるネット上の政見放送はこれに違反するらしい。時代錯誤なものである。有権者の立場に立てば、ネット上にアップしてくれた方が時間に関係なく見られ、NHKで早朝や深夜の余った時間に申し訳程度に放映されている政見放送よりもよほど意味がある。投票率の低下を国民のモラルの低下にばかり求めるが、法というシステムが時代に即していないのも原因の一つなのだ。
    *ネットを使った選挙運動についての記事

     ここで投票率について見てみよう。
    ■東京都の各種選挙における投票率
    衆議院選挙の場合は戦後からずっと60%程度をキープしている。
    しかし、これが都議会議員選挙や区市町村長選挙になると40%台にまで落ち込み、これらの20-35歳までの若年層における投票率は20%台にまで低下する。若年層の選挙権でみれば、日本では「二十歳選挙権」だが、現在の世界では「十八歳選挙権」およびそれ以下が大勢になっているという。個人的にはせっかく小中学校で投票が行われるのだから教育の一環として小・中学生レベルから政治に関わるような姿勢はあってもいいと思っている。教科書の中での政治ではなく、自分たちの未来を決める“身近な政治”を身をもって体験することが何よりも重要だと思うからだ。

    ■渋谷区議会議員選挙 40.60%
    ■東京都知事選挙   44.94%
     
     地域別に見てみると、江戸川区が最低の39.46%(有権者513,988人)。そして最高は利島村の 84.92%(有権者255人)こうした小さな村では若年層がおらず、高齢化が進んでいると言うこともあり、投票率も高くなっている。逆に言えば投票してない15%は投票に行くことができない人だったりするかもしれない。そしてコミュニティが存在するところには「選挙に行かないことは恥ずかしい」と思わせるある種の抑止力が働く。それは選挙だけではなく、あらゆるところで見られるが、都市部ではこうした抑止力は働きにくい。

     法は時代に合わせて柔軟に変えていくべきものなのだが、株式市場にしても、インターネットにしても、時代の流れが早くなり、法改正が追いついていない。一昔前までは単一民族国家の日本において、公共哲学的な意識もある程度統一されており、法制度の不備をこれでカバーする部分もあったが、最近は暗黙の了解や日本的な「言わなくてもわかる」と言ったような状況もコミュニティの崩壊とリンクしてもはや神話になりつつある。公職選挙法などは年に数回の行事なので、すぐにでも変えられるものだと思うのだが、変えるべき政治家自身がネットに疎いというのが一番の問題であり、インターネットによって自分の立場が危うくなる可能性もあるというせこい保身も見うけられる。インターネットで選挙活動ができるようになれば選挙資金が少なくても立候補できるようになり、立候補の敷居も低くなるだろう。逆に、資金力のある候補者が大量にブログ等を使ってアピールしたり、人気投票などを大々的に行えば、より大衆に受ける政策や発言に終始し、テレビ局の視聴率合戦と同じような結果になる恐れもある。しかし特に投票率の低い若年層にインターネットでアピールする場所ができれば、やり方次第で政治に対する意識向上も期待できるが、結局は有権者の判断力が求められることなる。そして日本の現状においては残念ながらそこが一番の問題であることにかわりはない。政治は雲の上の話では決してない。我々の日常生活に密接に結びついているのだから、本来は国家というシステムの上で暮らしていく以上、国民一人一人が政治家であり、批評家であるべきなのだ。

    『政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことができない』
                           トーマス・マン

     日本では選挙権は義務ではなく権利だが、義務投票制度を採用している国もある。その数は想像以上に多く、シンガポール、タイ、イタリア、ポルトガル、ギリシャ、ベルギー、オーストラリア、エジプト、トルコ、ブラジル、パナマ、アルゼンチン、ペルー、メキシコ、チリなど32カ国以上に及ぶ。(参考記事

     オーストラリアでは義務を果たさなかった場合、罰金は20-25ドル。こうして罰金が課せられるため、選挙での投票率は90%を越えているという。しかし、たとえ義務にしたとても、国民が政治に興味を持つことがなければ浮遊層を取り込むためにキャッチーな選挙活動をすれば勝てるという無意味な結果になりかねない。日本の政治家はこうした義務投票制度は民主的ではないと思っているらしいが、選挙権という権利すら行使することをしない現状では一つの処方箋として有効なのではないか。そしてシステムの変更とともに、そのシステムを有効に作用させるためには世界がどう動き、どう進んでいくのか、世界市民としての日本人の役割と方向性を議論する土壌を作って行かなくてはならない。グローカル(グローバルかつローカル)なシステムを考える人(visionary)の育成=教育と、システムを作る=政治の成熟は大きな課題として我々に降りかかっている。双方とも破綻を来している今だからこそ、ヴィジョンを持った教育と政治に未来を見いだせる社会のために手を挙げなくてはならないと思っている。

     昨年9月にYahoo!投票で行われていたアンケートのテーマが「日本の未来を色に例えると?」だった。一見なんでもないありふれた質問だが、ここには我々日本人のスタンスが鮮明に現れている。

    結果は


     灰色と無色はスタンス的には近いのでこの二つをまとめると54%となり、過半数を超える。そしてこの数字がほぼ投票率にリンクするという結果も興味深い。ビジョンなき国家に未来が見えないという結果は不思議でもなんでもない。バラ色の未来を見据えて政策を立案し、実際に行動できていれば、当然未来もバラ色に見えるだろう。しかしその見るべき未来が今は見えていない。見ようとしていないことが、白でもなく黒でもない灰色と、色づくことさえ拒否する透明という色に鮮明に現れている。しかしこれは他人事でもなく、自分たちの意思表示だと思っている。誰かがやってくれると思っているうちはこうした状況を打破することはできないだろう。「自ら変えていく!!」こうした意志を時代は要請している。

    『国家の価値は、結局それを構成する個人個人の価値である。』
                   ジョン・スチュワート・ミル

     今度はこう質問してみたい。
    「あなたの未来は何色ですか?」

                        (2007.05.21加筆)
    CULTURE | permalink | comments(4) | - | -

    この記事に対するコメント

    イメージできないことは実現しませんね。
    私の未来は虹色です。
    でも虹色って国によって違うんですって?
    ぺこ@東創ゼ | 2007/05/19 1:23 PM
    常連のみなさん コメントありがとう。

    >公的機関のページで、全ての候補者を並列して比較しやすい形で提示してくれるとありがたい

    実際これくらいの情報もないのが不思議でした。
    町内の看板見ても名前と顔が出ている程度で、有権者は顔で選ぶと思ってるのか?? (笑)

    >投票率や、政治への関心の低さの責任があるとすれば、それは圧倒的に政治家の方にあると考えます。

    メディアに出てくる政治家のレベルは腹立たしいほど低い。あれでは政治家になろうなんて人はなかなか出てこないでしょうね。でも政治家のレベルを嘆いていても政治はよくならないので、まずは有権者から変わっていかないとダメだと思ってます。結局はどっちが先かという問題ですね。

    >若い人が選挙に行かないんだとすれば親が悪い。

    親が行っている人は自分でも行くでしょうね。
    せめて親と同居しているうちは「あんた選挙行ったの??」なんて会話が必要でしょうね(笑)

    じゅんぺい | 2007/05/16 4:54 AM
    若い人が選挙に行かないんだとすれば親が悪い。

    ってそれだけじゃないだろうけど、そういうこともあるんじゃないかな。小さい頃、日曜日に家族でお出かけする前に、親が、まず投票所に行ってから、と公民館で車を止めていた。時々は手を引かれて投票所にも入ったし、親が候補者について議論しているのもよく聞いていた。選挙が身近だった気がする。
    地方では近所の目で選挙が義務っぽい感じもある。立候補者が友達の親だったり、知り合いの知り合いだったりする。投票所の立会人は、近所のおじさんだし。行かざるを得ない。
    しぶしぶ行っていたのか、誇りを持って行っていたのかはわからないけど、選挙に行く、ということは絶対だった。
    それをみて育ったせいか、選挙がある日は、投票を済ませないと何もしてはいけないような気分になる。
    私の周りでは、わりと投票に行く人が多いけど、選挙について候補者について、語り合うことはほとんどないなー。政治を自分のこととして考えていないんだよね。もっとみんなで話して、自分にとって何が大切なのか考えたいな。

    私の未来は、オレンジかみどりに見えます。すごく明るくてまぶしいです。
    きねのん | 2007/05/14 12:07 AM
    はぁ〜〜。。
    あの選挙はがっかりだったね。。
    はぁ〜〜。。


    それはそうと、確かに政見放送や、もっと具体的に各候補者のマニフェストを検討したいと思った時に、「ネットでもっと自由に見れたら良いのに。」って思ったね。

    でもyoutubeや、個人のページを駆使したやり方を許容するのには反対。
    どんな映像でも、見せ方、紹介の仕方で大きく印象を操作する事が可能だから。特にネットの世界ではプロパガンダが横行しやすいし、そこの管理というか、制限は必要だと考えます。

    もしやるのなら、公的機関のページで、全ての候補者を並列して比較しやすい形で提示してくれるとありがたいですね。


    あと、選挙の義務化は反対です。投票率や、政治への関心の低さの責任があるとすれば、それは圧倒的に政治家の方にあると考えます。
    自分たち(国民)が「こうして欲しい。」と願う議論を、真剣にやっている様には到底見えない。発言や行動が、真面目に国民の方を向いているようには見えない。
    若い人の政治離れを数字(投票率)で嘆くのなら、まずは政治家の政治家としての意識の向上を要求したい。もっとオモシロく(えっと、”大爆笑”のオモシロさではなく)して欲しいもんです。


    ただ、投票率という話とは別に、身近なところで、政治意識みたいなのは向上している気がします。やはり「このままではいけない。」という危機意識みたいなのが世間的にも広がっているのを、ネットなどを見ていて感じます(ネット上の情報の大半が、未確認や憶測の”カス”だという事を差し引いても)。


    あとは自分の意志を、しっかりと”投票”と言う形で伝えなければ、何もしないより損をする。という気持ちをもってくれれば。。


    で、自分の未来の色なんですが、、

    ”虹色”じゃダメですかね。

    良い色も悪い色もあって、遠くから見ればなんとなく奇麗に見えるって事で。。この答えじゃ玉虫色かい?

    サワイ | 2007/05/13 5:05 PM
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