こころとからだの建築家BLOG

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街並みの色彩学 〜世界を狂わせているのは“黒”なのか?

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     数年前から建築や人の着る衣服も含めた街並みの色彩分析をしており、その中で都市の色彩的な特徴を読み取り、色彩が人に与える影響についていろいろ文献をあたり始めた。色彩から街を読み取る体系的な研究はほとんどないのだが、様々な文献を読み進めていく中で、今後の指針となりそうな手応えを感じている。

     現代都市の街並みを俯瞰すると、ベースカラーは圧倒的に無彩色が多い。そこに看板や車、衣服が加われば色彩も入ってくるが、コンクリートや鉄とガラス、アスファルトに囲まれた空間のベースに彩度はほとんどない。しかも、街並みの中にいる人々の衣服もかなり割合で無彩色が見られる。

     これを自然の中と比較してみよう。青い空に、青い海、緑の森や草原に、茶色い土や樹木の幹、色彩豊かな花々。断崖絶壁の岩山や砂漠の中でも岩や砂は赤みがかっている。こうしてみると自然の中に無彩色はほとんどないことに気付く。雪と夜の闇がかろうじて無彩色だろうか。

     人類は数百年かけてこの無彩色都市を作ってきたのだが、我々は現代都市の無彩色空間にあまりに慣れてしまっている。人間の適応能力は素晴らしいものだ、しかし数万年も暮らしてきた色彩豊かな自然界から見れば全く異質な無彩色空間に我々は本当に適応していると言えるだろうか?

    「色彩生命論 イリスの色」野村順一では色彩療法なるものがBC500年頃ピタゴラスによって用いられていたといい、自然光の重要性と、色が発する無意識的影響について書かれているので興味深い事例をいくつか参照してみよう。(「」内は引用文)

    ■「どんな人でも真っ白い衣服を2日着ただけで、風邪が治るとさえいわれている」

    ■「同じ大きさのトマトを3つ摘んで、一つは白い布地、二つ目は赤い布地、三つ目は黒い布地で包み、日光の当たるところに置きます。――白い布地のトマトはつるで実ったトマトと全く同様に自然に熟していました。赤い布地の中のトマトは、熟し過ぎていて、切ってみると種と果肉のいたるところに黒い痕跡がみられ、醗酵していました。黒い布地の中のトマトは、全く熟していませんでした。緑色のままで、しかも切ってみるとしなびて腐っていたのです。」

     白い色は全ての色波長を伝導し、体にまで色(光)が届くから身体にいいという。

    ■「教会のステンドグラスの赤、赤紫、緑、黄の透過光が病人をなおすと考えられ、その色光の効力は祈りと音楽(音響療法)で高められた」

    ■1875年にポンザと言うヨーロッパの医者が行った色彩療法では
    「無口の妄想患者は、赤い部屋に収容されて3時間すると、陽気でで快活になりました。また、拒食症の患者は、赤い病室に入れられると、朝食はなんでもいいと要求したばかりか驚くほどガツガツと食事を貪るようになりました。さらに、凶暴な患者は、拘束服を着て青窓の病室に閉じこめられたのですが、1時間も経たないうちに穏やかになってしまったのです。」

    ■「ピンクの蛍光灯はイライラや動揺を生み出す」

    ■「ピンクや黄色の蚊帳は蚊を寄せ付けない」
     人間と虫と視覚の違いはあると思うが、たとえば回転率を上げたい店の内装に黄色を使うのは、無意識の黄色に対する嫌悪感を利用し、早めに帰らせるためだという。

    ■「青色蛍光灯だけに人間が絶えず晒される生活環境を想定すると、そこから生まれてくる子供は、女子が70%、男子が30%となり、――現在の都市環境では多分にこのような状況に近づきつつある」というおそろしい仮説まである。

    ■「屋外のプールや浜辺で有害な紫外線から身を守るためには、黒が有効なのです。しかし、一般に日照率が低い地域や、太陽光線が乏しく常にスモッグに覆われた都会では、逆に、黒が有効な太陽光線のすべてのスペクトルを吸い取り、体に色を栄養として透過してくれません」

    ■「イタリアの美容研究家は『女性は黒い衣服を着てはいけない』と力説しています。その理由は、黒が女性の皮膚をいためるため、逆効果になるからです。」

    ■無彩色のマイナス効果
     身の回りのものを無彩色にすることが、精神科にかかる人が急増している原因だとしたら、それは建築や衣服の色について再考しなくてはならない。
    ・黒
    「気が滅入っているときに使ってはいけません。人々から切り離された孤独感をますます高じさせる事になりかねません。」
    ・白
    「ある環境にあまりに多く白が使われると、孤独感を強めてしまいます。」
    ・灰色
    「優柔不断をさらに悪化させ、過剰な興奮や軽率さを抑えることができますが、つまらないものをさらにつまらなくしてしまいます。」
     

     基本的にこれらの事例は従来の色彩心理学をベースにするのではなく、色彩生体学とでも言った方がいいのかもしれない。全盲の人でも色を感じることができるというように、目に入る光としての影響以上のものを色は持っている。心理学だと意味論も含まれてくるが、もっと無意識の段階、意味を排除した動物としての人間、大脳新皮 質をすり抜けて脳の旧皮質までダイレクトに色彩(光)が与える影響がたくさんあるのではないかというところに注目している。

     我々は身の回りの色について完全に麻痺しているようではあるが、無意識の中では確実にこれらの色(光)が与える影響が出ている。そうなれば街並みの建物や服装の色彩が人に与える影響はかなり大きいはずだ。しかし、そうした色彩論は全く確立されていない。

     まだまだ検証の段階ではあるが、数々の事例を見ても、日頃我々が多用している黒をはじめとする無彩色が身体にとっていい環境であるとは言えなさそうだ。迷走する現代社会の根幹を探っていくと、もしかしたら『色彩の誤用』が一つの大きな原因となっているのでは?すら思えてくる。

     色彩が身体に与える影響がどこまで研究されているのかこれからさらに突き詰めて調べていくつもりだ。情報も世界に行き渡り、ワールドワイドなグローバルデザインが世界を席巻した現在、もはやファッション的に形を弄ぶだけのデザインはメインストリームから退いてもらおう。そうした中で体を包む「21世紀の衣服と建築」と街並み形成のベースは色彩分析から始まるのではないかと思っている。

                    (2007.02.03 加筆修整)

    DESIGN | permalink | comments(14) | - | -

    この記事に対するコメント

    この記事を書いてから自分でも黒を避けるようになってきました。もともと黒がかなりの割合を占めていたので避けようもないのですが、確実にこれから買うものは黒以外が増えるでしょうね。これをいかに生理学的に実証していくかが課題です。
    じゅんぺい | 2007/06/14 12:23 AM
    黒・・ 大好きなんですよ、私。。
    持っている洋服のうち、黒のしめる割合はかなり高い。

    なんだか、とっても興味深いけど、あんまり知りたくないような・・??(^^;)

    黒の“良い効果”、もあるといいな〜
    Leimomi | 2007/06/12 8:12 PM
    ふと覗いてみました。おもしろいですね。
    私は最近,黒を着ることが多いのですが,運気も低下しそうですね。切り替えよう・・・

    ちなみに,私は自分の専門領域である保育にも色彩の視点が必要だと考えていて,今年度のカリキュラムの中に,教養科目ではあるのですが「色彩学」の授業を入れました(科目名は生活科学概論なのですが)。

    カラーコーディネーターの受験資格もとれるようにしたいと考えています。

    またいろいろと勉強させてください♪
    Hiroko Okamoto | 2007/04/01 10:18 PM
    初コメントかしら?
    とても興味深い記事と面白いコメント、感謝です♪
    「無彩色のマイナス効果」は、何となくだけど納得しちゃった。(個人的に無彩色は好きだけどね)
    「色彩」と「感情」の関係を、オカルトではなく、科学的に又は論理的に、良い研究がされると良いですね。

    ちなみにボクは、無彩色に派手な刺繍のスカジャンが好きです♪
    ながとも | 2007/02/06 2:36 AM
    まだまだ内容の議論にはとうてい及んでいないのですが、こうやって問題提起と解決への道しるべが少しでもできたらと思っています。
    じゅんぺい | 2007/02/05 3:37 PM
    すみません。↓名前を書き忘れたようで・・megieです。
    megie | 2007/02/05 2:38 PM
    お二人の議論にはとても入れないわたしですが(笑)、再び「感想」を述べさせて下さい(雰囲気を壊してしまったなら、ごめんなさい!)。
     
     わたしは、育ってきた環境や教育など文化の影響で自然と身に付けた「普通」や「常識」の感覚は実は違っていることもたくさんあるということを、いろいろな出会いから学んできました。
     だからいつも、「もしかしたら違うかもしれない」という姿勢を持って柔らかなこころで生活に臨むということが、どれだけ自分の世界を広めて輝かせてくれるかということを肝に命じて、忘れそうになる自分に言い聞かせています。
     
     じゅんぺいさんとサワイさんのお二人を始めとした研究を深めている方たちは、それぞれの関心領域で知らないことを見つけて調べてそれぞれのフィルターを通して展開し、わたしのような者にも「実はこういうこともあるんだよ」と、こんなふうに分かり易く説明してくれるのだから、とってもありがたいことだと思っています。
     そして、今回のテーマ(?)「色彩」のことひとつを取り出してもこれだけの多様な視点で論ずることができるということは、このテーマと教えていただいた事実以上に興味が尽きないというか・・ほんとうに面白かったです!!
     
     次回のテーマと議論にも大変な期待を寄せておりますので、よろしくお願いします。傍聴席にて、お待ちしていますので♪
    | 2007/02/05 2:36 PM
     目の青い人と黒い人の見る赤も絶対違うよね。誰一人同じ色には見えていないと思うとほんと不思議。

     分かっていることの方が少ないという世の中だから、色の事もそれが全てだとはとても思えないけど、ある一定の見方は重要だと思ってる。たとえばモノで言えば色だったり素材感だったり形だったりと、それがいくつあってもいいんだけど、自分の中での見方(引出)をたくさん持っているべきだと思ってる。その見方のあるなしではアンテナに引っかかってくる情報が全く変わってくるからね。だから結局はサワイの言いたいことは、思想という定義のレベルの違いだけで、ほとんど同じだと思うよ。
    じゅんぺい | 2007/02/04 10:34 PM
    自分も以前読んだ色彩学の本のなかで、「全盲の人でも色を知覚できていると思えることが多い」って所に興味を持ったんだ。
    あと「色を見るのは脳であり、目ではない」とかね。
    自分の体感している世界の周りに、自分では感じることが出来ない世界があって、それを自分の身体もちゃんと感じているんじゃないか?ってことに凄く感動した。「物理的側面から見れば同じ”赤”でも、全盲の人が知覚する”赤”と、自分が知覚する”赤”は、きっと違う。」ってね。ロマンチックでしょ?(笑)

    脳をもたないトマトでも、布を透過してきた色(光)で、その成長に差が生じるんだから、おそらく、僕らの身体も色(光)を網膜以外でも知覚してて、無意識に脳(体?)は反応してるじゃないかと自分も思う。

    その影響を無視するかしないかは結局個人に委ねられるわけだけど、でも、その影響について考察したり研究することは大切だと、自分も思います。


    多分この先が、じゅんぺいと自分との大きな違いとも、実は同じとも感じてるんだけど、自分は「唯一」とは思ってないってこと。
    でもそれは「思想」って言われるからな気がします。

    自分は、身体に合わないものは自然と沙汰されると考えてます。今こうしてじゅんぺいが、色彩と身体について関心を持っているのも、そうした”沙汰”の流れかと(笑)。その結果、ある一つのかたまりとして体系的にまとまる事はあると思います。ただしそれは唯一の思想ではないとするのが、自分の意見です。

    まだまだ分かってないことが沢山ある気がしてなりません。
    複雑なこの世界では、次から次へと同時進行的に新たな事象が生まれてきては、常に沙汰されている状態が延々と続いている様に感じます。

    だから、「唯一の思想」にこだわると、全体が見えなくなる気が自分はします。知識がかえって感覚を鈍らせるというか、体験からの学習を妨げるというか。

    そこがじゅんぺいと自分と違うところなのかな?とも、結局は同じことか?とも思ってるんだけど、今回の内容(議題?)とは大分外れてるから、続きは今度会うときにでもゆっくり話しましょう。


    しつこいコメントでごめんなさい。
    ただ、他の人の意見も聞いてみたかった内容だったんで、自分と違うかな?って部分を誇張してみました。
    サワイ | 2007/02/04 5:07 AM
    早速のみなさんのコメント感謝です(^^)

    まずは議論に入っていく前に、私が今回のテーマについてどう考えているか補足しておく。

    基本的に従来の色彩心理学をベースにするのではなく、色彩生体学とでも言った方がいいのかもしれない。全盲の人でも色を感じることができるというように、目に入る光としての影響以上のものを色は持っている。心理学だと意味論も含まれてくるが、もっと無意識の段階、意味を排除した動物としての人間、大脳新皮質をすり抜けて脳の旧皮質までダイレクトに色彩(光)が与える影響がたくさんあるのではないかというところに注目している。


    例として挙げたトマトに布をかぶせた比較のように、布の色によってその成長に著しい違いを起こす事例がそのまま人間にも当てはまるとするとどうだろうか?仮説として、真っ白い衣服で一生過ごした人と、真っ黒の衣服で一生を過ごした人とで、その寿命や病気を起こす確率などの健康に関わる影響が明確に出るという結果が出たらおそらく人々は無視するわけにはいかないと思う。それを受け入れるかどうかの問題は、タバコを吸う人がいるのと同じだ。身体に悪いと分かっていても吸う人は吸う。「黒」が悪いというのはまだまだ一つの仮説だが、そうした考え方を身を取り巻く衣服や建築などの環境に適応する際のベースにするというのは、モノカルチャー、メインストリーム云々とは次元が違うと思ってる。このキノコは毒キノコか食用のキノコか知っておく必要があるのではないかと言うことだ。それを知らなければバリエーションのある料理すらできないのだから。

    メインストリームやワールドワイドを目指しても意味がないと思っているが、細胞の集合体である人間という存在をベースにすれば、バリエーションやローカル差こそあれ人間の生体・生態を基本とした思想は、ワールドワイドな思想になりうる唯一のものなのではないか。そしてそれは悪い意味での単一思考にはならないとは思っている。
    じゅんぺい | 2007/02/04 12:49 AM
    先日は、遅くまでおつきあい頂いてありがとうございました。色彩のお話しおもしろく拝見しました。私のお友達にその人の周りにある気の色で治療を考えていらっしゃる方があります。その時間、時間でその人の周りの色に人は影響されると言う考えです。その時の合う色で治療の手助けをするという。また、これからもおもしろい研究ご紹介ください。そしてきれいな街作りを期待しています。
    | 2007/02/03 8:49 PM
    大変興味深い問題提起と議論を、ありがとうございます!

    わたしの服や部屋に黒色が少ない理由が、なんとなく分った気がしました。
    そして、少し前にTVのインタビューか何かで南米の方が、「TOKYOの街には色がなく、冷たく寂しい。自分の国は色で溢れている」と言っていたことも思い出しました。

    今の状態を当たり前で完成されたものとして受け入れずに、疑問を持ち、これでいいのかと投げ掛ける姿勢はとても大切で忘れてはいけないことですよね。じゅんぺいさん、ありがとうございます。

    今の街や人を支配する単一な色やこうあるべきと言う思想にわたしも違和感を覚えますが、それが逆の方へ極端に触れても同じことになってしまうというサワイさんの主張にも頷けます。

    誰もが満足する気持ちがよい環境・社会というものを作れるのかどうかということは、わたしの中の永遠の課題ですが、何をおいてもこのように考え続けるということが全てのカギとなっているのではないかと、そのことに関しては希望をいだいていて、このような議論を目の当たりにできたことを幸せに感じます。
    どうもありがとうございました!!
    (思いつくままに書いてしまったので、理解がズレていたらごめんなさーい!)
    megie | 2007/02/01 12:41 PM
    色彩医療というか、色彩心理学というか、インテリアや、室内環境(特にオフィス関係など)では、案外有効にそれらのデーターを利用しようとしてるみたいだよね。自分がいた研究室でもそんな感じの研究してる人がいました。また最近はよく見る様になったけど、歩道と車道の色分けとか、注意を促す様に部分的に赤いアスファルトに赤い塗装が施されてたり、車を走らせると走行音が大きくなってスピードを出しづらくさせてみたり。自分もその頃は「もっとそういった心理的効果、人間工学を有効に使ったデザインが主流になるべきだ!」って思ってた。

    でも、今は少し、、というかだいぶ変わったんだ。

    まず、誤解の無い様に最初に言うけど、環境(室内、屋外、また衣服も含め、生活のあらゆる”環境”ということ)を創作する立場の人は、大なり小なり、色彩の心理効果、色彩療法のこと、その他あらゆる要素の認知心理学を知っておく(少なくとも関心を持つ)ことは必要だと思う。

    ただ、まず知っておいて、それから創作の段階でいったん”データーを捨てる”作業が必要なんじゃないか?って感じる。つまり個人的には、都市空間を(色彩も含めて)もっと雑多なものにしたいと思ってて、そこでデーターを物差しにしない自由な発想が必要なんじゃないかと。そのために、いったんデーターを捨てる必要がある。そうでないと、別の次元でまた”モノデザイン(モノカルチャー)”に向かうだけだと思うから。
    でも、都市空間はパブリックなものだから、あまりアナーキーになってもらっても困る。。そこで、データーを物差しにして、パブリックの節度を保つ。

    自然界に自然界の色彩空間がある様に、都市空間には都市空間の色彩空間があると思う。今の都市空間は、じゅんぺいが言う様に無彩色がまだまだ多いよね(まあ、一部繁華街は除いて)。でもそれは仕方ない部分もあって、例えばアスファルトが黒いのは、原料の原油が黒いからで、色をつけるには、その上から塗装するか、アスファルトを使わないか。そうするとコストがかかるし、適当な代替品も見当たらない。そうなれば、やっぱり道路は”黒く”なっていっちゃうよね。そこにもし色彩を入れたいとするなら、コストや代替品などの問題をクリアーしていくのもこれからの”デザイン”に含まれると思う。

    、、って、デザイン観に脱線しちゃった。

    で、自分が大学の頃から大きく変わったのは、”一つの思想で大衆を縛るような、そんな集団催眠術みたいなことは不可能だ”、っていうこと。
    じゅんぺいは「そんなことは言ってない。」って思うかもしれないけど、たとえ見た目が多様になったとして、そこにいたる思想の経路、構造が、色彩分析をベースにして、工学的、また医学的検証、データーをもとにしたもの一辺倒であるなら、それは”モノデザイン”で”モノカルチャー”だと思うし、あまり魅力的ではない。ストーリーが単一だよね。

    自分が期待するのはもっと個々が色を自由に遊べる環境で、根拠があって色、形を決めるのも、それこそ”ファッション的”に色、形を遊ぶのも、もっと自由で平等な環境が欲しい。異種を許容しつつ、また対等に意見、議論を交換し、互いに尊重し合える思想が欲しい。

    結局、都市の色彩空間は、そこに住む住人の思想空間が反映されてると感じます。だから、その色彩空間が単一なのは”黒”のせいでも”色彩の誤用”でもなく、単一的な思想こそが原因だと思います。だから、”色彩分析”はプレゼンなどでの説得力にはなっても、”衣服”や建築”、さらに”街並”といったパブリックデザインベースにはなり得ないです。ベースになるのは、個々の欲望だと感じます。限られたメディアで太くつながれた都市生活者の欲望は、単一的になりやすいってところでしょうか。

    情報も世界に行き渡り、ワールドワイドなグローバルデザインが世界を席巻した現在、むしろ”ワールドワイド”が単一思想にならないように考えることが重要なんだと考えます。

    つまり、「メインストリームはいらない。」

    と、自分は考えてしまうんですが、どうでしょう?




    サワイ | 2007/02/01 11:23 AM
    おもしろーい。
    どんどん探求してください。
    すばらしい研究成果がでる気がします。
    わくわくします。
    衣服や街や建物を変えていくとき、
    協力は惜しみませんよ。
    arch衣tectの更なる躍進を祈っています。
    きねのん | 2007/02/01 11:06 AM
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