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読書を習慣にしても無駄じゃない?〜読書週間に考える

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     私も大学の時まではそんなに本を読まなかった。「好きこそものの上手なれ」必要性も感じずに好きでもないものを読んでもたいして頭には残らないものだ。

     しかし、大学で建築を学びはじめ、嫌々やる勉強ではなく、自ら進んでやりたいことを学ぶようになってそのスタンスは一気に変わった。恩師の反対を押し切って自分のやりたい研究をした大学院時に目を通した書籍は100,200といった数ではすまない。研究分野の前例がいままでになく、範囲が幅広かったのもあるが、その時に吸収した知識は今でも私の基盤となっている。

     それから7年が経ち、社会人としての経験も積み、退職を期に一度社会を俯瞰してみて自分の未熟さと今までいた世界の狭さ、世の中の広さ、そして先人が蓄積してきた人類の一員としての知識をもっと吸収したいという欲望が生まれてきた。

     「本は心の栄養」ではあるが、本は読まなくても死ぬことはない。しかし人類は文字を持つことによって、積み重ねてきた叡智を子孫に伝えることができるようになったのだ。口述で伝承されていたものが、文字が生まれたことによりそれまでよりも多くの人に伝えられ、翻訳と印刷技術の発展と運送のスピードアップによりそれは加速度的に広まり、ついにはインターネットアップされることにより、筆者と読者の時間的・物理的な距離はほぼなくなり、ダイレクトに情報は伝わるようになった。こうして人類の発展は文字情報の伝播の速度と共に急速に進化してきたといえる。その叡智は常識や暗黙知、一般教養として社会全体にはストックされているが、これらは人類が積み重ねてきた叡智のほんの一部にすぎない。その背後には一生かかっても吸収することができない巨大な知識の小宇宙が存在し、その大きさはブラックホールのように加速度的に拡大し続けている。

     こうした素晴らしい知識の小宇宙に必要性を感じなければ個人が積極的に吸収することはないだろう。しかしそれでは先人の経験や知識を存分に活かすことはできない。B.C.5000〜B.C.4000年ごろエジプトで石などに文字や絵画を彫刻して押印したころから見れば約7000年。15世紀ヨハネス・グーテンベルクの発明した活版印刷を起点にしても550年分の全人類の叡智がつまった「人類の百科事典」=本(情報)があるのだ。こうした素晴らしい先人の遺産を放棄することが賢い選択なのかは自明の理だと思うのだが、世の中の半分の人はそうは思っていないようだ。

    「1か月読書せず」49%、若者の本離れ進む
     

     毎年行っている読売新聞の調査なのだが、この結果よりも疑問に思うのが、
    本離れの歯止め策について聞いたところ、「家庭で読書の習慣を身につけさせる」51%、「学校で読書教育に力を入れる」47%――などが高かった。

    という結果だ。このアンケートが選択方式だったのか、自由記述だったのかは分からないが、こうした認識しかないようでは本を読まなくなっても仕方がないのかと思ってしまう。読書が有用であることは社会の擦り込みでなんとなく分かっているのだろうが、その明確な意味づけもできないようでは、本を読もうとは思わないだろう。たとえ家庭や学校で読書を習慣にしても、目的を持って読まなければその意味はほとんどない。小学校の読書感想文で好きな本を読むのならまだしも、指定図書を無理矢理読まされても苦痛以外の何者でもないのだ。そこに生まれるものは夏休みのイヤな思い出だけだ。

     あまり本を読まない人には 本=小説=娯楽 という構図があるのだが、小説は本の中のほんの一部でしかない。そして問題意識を持ち自発的に学ぶスタンスにおいては全体に占める小説の割合は次第に減ってくる。大切なのは読書の習慣ではなく、子供が興味を持ったものに問題意識を持たせて学ばせる環境と教育、それに人類における本(情報)の持つ意味だ。好きなことなら積極的に本から情報収集もするだろうし、そこから本を読む意味も見いだせるだろう。そして長年積み重ねられてきたこの素晴らしい「人類の百科事典」をうまく使う術を身につけることで、その人の人生の大きな羅針盤となることをうまく示してあげ、頭ではなく身をもって理解させてあげるべきなのだ。

     好きなことに興味を持たせて自発的に学べる教育を受けてこなかった大人が人類の積み上げてきた叡智を放棄してしまうのは、厳しい社会を生き抜いて行かなくてはならない我々には無謀とすら言える。こうした社会では、人生の羅針盤を本から吸収し、それをまた時代にあったものに再生産し、子孫に残していく事が我々の「努め」なのだと思っている。そして、それは決して「勤め」ではない。「勉(めて)強(いる)」ではなく自ら「学(んで)問(う)」をするとき、素晴らしき先人の叡智が活かされることになる。

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    この記事に対するコメント

    最近はなんでもビジュアル化する傾向にありますね。
    結局それは読解力の無さが元で、でもビジュアル化が進む事はさらに読解力の無さを進めるだけなような気がします。

    携帯にしてもとりあえずあの分厚い説明書を読まなくても、なんとか手探りで使える。そしてメーカーもそうなるようにデザインをする。まあそれをユニバーサルデザインと言えば格好がついてしまうけれど、安易と言えば安易?

    って事でトピずれごめん><。
    はままき | 2006/11/30 11:38 AM
    本好きな皆さん、博学な皆さんのコメントによっていつも自分の理解が深まります。
    コメントありがとうございます。
    本嫌いな人では私の長くて理屈っぽい文章もなかなか読んでくれないでしょうから当然のなのかもしれませんね(笑)

    映画やTVのストーリーと本のストーリーは全く異質のものだと思っています。本に比べて映画は表現できる要素が多いので作者のイメージがダイレクトに伝わってきます。それに比べ、本は文字情報に限られるので、一度文字情報から行間を読み取り、自分の中で風景やストーリーを再構築しなくてはいけません。この脳の中を迂回する差がみなさんの言う想像力の差異であり、格差へとつながる差異なのかもしれません。

    ダニエル・ピンクの「ハイコンセプト」など、これから必要な価値を創造するには何が必要か書いた本では、デザインやセンスに加えてストーリーが重要だといっています。ここでいうストーリーは小説の物語というだけではなく、商品を作るコンセプトや売り方なども含め、いかに全体の調和の中でストーリーをいかに構築していくかが重要になってきます。安っぽいコンセプトは溢れていますが、これをストーリーにまで昇華させているものはまだ少ないです。関わるもの全てのストーリー付けは、本の中の登場人物の関係性と同じで、つながりがしっかりしてないければ面白くありません。目の前にあるものの考えられる可能性の全てを想像できる力。これこそが、これからのストーリーテラーに必要なのでしょう。そしてそれは映画のストーリーでは学ぶことができないのではないか?と思うのです。

    子供のいない私には読み聞かせの重要性は頭にありませんでした。考えてみれば、本好きで成績の悪い人って想像できませんよね(笑)子供にとっては読み聞かせのストーリーで想像し、ワクワク・ドキドキして眠るんでしょう。大きくなってそのワクワク感を感じられずがっかりされないような社会を作らなくてはいけませんね!!
    じゅんぺい | 2006/10/31 9:22 PM
    本ですか。。

    大学辞めてから読む様になったかな。自由に。
    やっぱり自分に「合う」、「合わない」ってあってさ。
    「これはダメだ。」って思ったらすぐ止めて、次を探す。ってスタンスでずっとやってます。「ダメ」だった本も時間の経過と、経験の中でいつの間にか「読める」ようになってたり。ね。(←これ、なんか自分が成長してるみたいで結構嬉しいもんだよ。)

    大半は小説だけどね。たまにビジネス書。哲学書。詩集。。で、また小説。

    最近(夏前くらい)、山本幸久さんの本にハマってたよ。3日で全部読んだ。ここで全部の感想は書かないけどね。まあ気が向いたら読んでみ。元気もらえるよ。

    あとは華恵(hanae*改め)ちゃんの『小学生日記』と『本を読むわたし』。

    特に『本を読むわたし』なんて、”本を読まない”人にぜひ読んで欲しいね。
    驚くよ。視点の真っすぐさと、文章の素直さに。「あぁ、本を読むってこういう事でいいんだ。」ってね。



    って、なんかリコメンドしか書いてないね。。
    サワイ | 2006/10/30 9:10 PM
    私は本が好きです。ちっちゃい頃から本を読まないと寝れない子でした。今は昔より体力がありますが、それでも人よりも体が弱く本の世界と想像力でどうにか生きています。

     前に出会った人が言っていました。
    本をただ読むのが良いことではない。質の良い本をいかにして自分のものにするかが大事なのだ。

    これ、本以外のことにもあてはまるような気がしました。
    みみ | 2006/10/30 8:31 PM
     前のコメントのある読み聞かせ、これに尽きますね。
    読み聞かせるという作業は、母親や父親が読んでおかねばならないわけで、習慣のない人には考えも及ばないことではありますが。

     私の息子は、母親の読み聞かせで書物の中に入っていきました。
    はじめは、かんたんな絵本から。
    本を見る、本を読む、この毎日の繰り返しが必要なのです。
    一日も欠かさずですよ。
    読まない日は親の都合だけですが、子供は毎日待っているんです。
    だから、どんなに疲れていても毎日ですよ。

     息子は、中一から小説では松本清張を呼んでいました。
    ABCもよくわからない中一時代にハリーポッターの原書を一生懸命訳してました。
    本が大好きになっていました。

     本を読まない人で、魅力的な人にあったことがありません。
    薄っぺらな経験の中からしか物が語れない、語彙の少ない人間にしかなりません。
    で、そんな人ばかりじゃありませんか?

     人間としての魅力の乏しい、知識欲のない人間と、たくさんの本を読み、いろいろなことに興味を持ち知識を蓄えている人、どちらを雇うか。
    私は社長ですのでそう考えるわけですが、薄っぺらな人間にたくさんの給料を払いたくないですね。
    格差は自分の責任、という面があるんです。

     本を読まないという約半分の人は、周りもそうだから感じていないかもしてませんが、自分は薄っぺらでしかないことを認めることからしか本当に豊かな人生は待っていないんですよ。
    Teddy@yokohama | 2006/10/30 7:45 PM
    アインシュタインは、「どう教育すれば子供の頭が良くなるだろうか?」という問いに、「物語を読み聞かせること。もっと頭が良くなるためには、もっとたくさんの物語を読み聞かせること。」と答えたそうです。

    現代の日本においては「知りたい事はネットで調べられる」「ストーリー性のあるものは映画やDVDで楽しめる」。
    なので、ライフスタイルから<読書>が姿を消しつつあるのは、ある意味当然と言えるのではないかと思います。
    PCの普及に伴い、読書というスタイルはこれからも加速的に霞んでいくのだろうと想像します。

    その中で、読書(書籍)でなければならない理由が、個々の中でどれだけあるのでしょうか?

    アインシュタインのいわんとした事は「想像力」の問題。
    行間を読む行為。もっと言えば、活字の隙間に描く光景。

    専門的な書物については正直よくわからないけれども、想像力の欠如防止にこれからも読書大好きでいたいと考える、私の読書週間です。
    あんじゃい | 2006/10/30 5:49 PM
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