こころとからだの建築家BLOG

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今の教育に足りないものは熱意とエンターテイメント性だ 〜人となりを感じられる講演会

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     以前は建築・デザイン・アート系の講演会にばかり行っていたのだが、特に建築においては国内のメジャーな建築家の講演はほとんど聴いたということもあって、最近はもっぱらビジネス系の講演会にシフトしつつある。そこにはビジネス社会の中でと建築・デザインの位置づけと役割をきちんと考えないと、業界自体が取り残されてしまうという危機感と、自分自身のこれからのスタンスがそこにあるのではないかという読みもある。

     私が講演会を聞きに行く目的はいくつかある。ひとつは「講演テーマに興味がある場合」。もうひとつは「その人がどんな人なのかが知りたい場合」だ。講演テーマのみに興味がある場合は、本であったり、ほかの媒体でだいたいの情報を得ることもできるが、講演者の人となりや醸し出す雰囲気はそうした媒体では感じることが出来ない。「その人の雰囲気を感じられる」ところに生で聞く講演会の面白さがあると思うのだが、はたしてこうした期待にこたえてくれる人はなかなかいない。特に話好きな人が多い建築家の講演の中においても人間的に『魅力的な講演』には出会ったことがない。それは情報のみを伝える大学の淡々とした講義の延長といえるかもしれない。内容的におもしろくてその人の作品が好きでも、そうした講演会に対する私の評価は低い。講演会にも「エンターテイメント性やホスピタリティ、その人の人間性を求めるか?」と問われれば、私は迷わず“YES”とこたえる。

     小説を書く時、自身の体験や人間性が求められるように、建築やアート、さらにはビジネスにおいてもその人間性は大きく影響してくると思う。つくった人の顔が見える仕事。人間味溢れる人が作ったものにこそ、本当の敬意を表したい。企業に属している場合は、その人の顔は企業の顔に成り代わってしまう。しかしこれからの時代、企業に依存することなく個人の顔でアピールしていく環境にシフトしていっている中で、その人のもつ魅力は仕事の出来だけでは評価されることはない。ホスピタリティやエンターテイメント性を含めた表現力、コミュニケーション力や人間性が大きく問われてくると思っている。

     先日、起ちあがれニッポン DREAM GATE チーフプロデューサー吉田雅紀 (DREAM GATEとは経済産業省の後援を受けてDREAM
    GATE運営事務局が行う起業・独立支援サービス)のセミナーに参加してきた。ドリームゲートには私も起業相談などでお世話になっているのだが、この起業ブームの中こうしたサービスを立ち上げた意義はかなり大きい。セミナーや起業相談など、多くのものが無料で受けられるのだ。こうしたサービスを立ち上げた吉田氏がどんな人物なのか。このセミナーに参加した目的はそこにあった。

     場所を間違えて遅刻してきた彼はまさしく“気さくなおっちゃん”関西弁にユーモアを折りこみ、テンポよくそして熱く語りかける。話しかけるのではない『語りかける』のだ。そこには切れ者のイメージも、エリート気取りの嫌み加減もない。しかし、そのパワーには圧倒された。これは、藤巻幸夫の講演会で感じたパワーと同じだ。こうしたひたむきなパワーには誰もが打たれる。どんなに小綺麗にまとめてもこうした熱意とパワーには太刀打ちできない。団塊の世代が持っていた熱意が世代が若くなるに従ってクールダウンしていた。しかし時代はクールに装う時代からまた熱く語りかける時代に確実に戻りつつある。いや、同じ世代でもその差が激しくなっていると言った方がいいのかもしれない。

     「教師こそエンターテナーたれ!!」これは私の持論なのだが、ついさっきNHKで爆笑問題の太田が東大で教養について東大教授陣と話していた中で同じようなことを言っていた、「学生が寝るのは授業がつまらないからだよ。」「読んでもつまらない文章書いたって誰も読まないよ?」エンターテイメントの世界で生きている彼等に言われるとそれがよく分かる。学ぶことの楽しさを教えるべき教師がこれでは学生が学ぶことを嫌いになっても仕方ない。優秀な教師が予備校にいて、学校にいないのはなぜか?文部科学省も真剣に考えるべきだし、我々も教育については意味あるお金を投資するべきである。私も修士論文を書いていたとき、人に楽しく読んでもらうために図版を多用してグラフィカルレイアウトし、文章も多少くだいて書いた。もちろんテーマ選定も今までにはないおもしろいテーマを見つけだし、内容も新鮮で興味を引くものができあがった。それを同期には「これは論文じゃない」といわれ、後輩には「雑誌みたい」と言われたのだが、私からすればこれはまさに意を得たり。さらに批判されると思って構えていた、おじいちゃん教授からも最高の評価をもらい、拍子抜けしたものだ。こうしたスタンスはスノッブなアカデミズムに対する挑戦であり、アカデミズムと一般の人とのつなぎ役である爆笑問題とも通じるものを感じる。おもしろい授業をすれば学生の学ぶ意欲は格段に上がる。その為には授業の質はもちろん、そこにはエンターテイメント性が必要になってくる。お笑いをしながら教壇に立てとは言わないが、少なくとも熱意とプレゼンテーション力にユーモアとサプライズを加えれば、授業も楽しく学ぶ意識も自然と高められるのではないか。

     ドリームゲートの吉田氏は講演で「感謝−感激−感動−驚き」という事を言っていた。これはとてもうまい表現だ。感動の先が驚きという解釈は確かに頷ける。新庄が「記録よりも記憶に残る選手」と言われるのも、そこにはサプライズがあるからだ。たしかにこれには賛否両論があるし、度が過ぎれば批判もされる。しかし彼のエンターテイメント性溢れるプレゼンテーション力とサービス精神はファンを楽しませているのも事実だ。イチローは「ファンに歌を歌ったって喜ばないでしょ?」とロッテの選手が試合に勝った後にカラオケを披露したことを暗に批判していたが、ファンはこうしたサービス精神は大好きだ。「記録に残る選手」であるイチローがWBCで最近感情をむき出しにしてプレーしていたのも、クールに決める「記録に残る選手」の限界を感じたからなのではないか。


     実は偶然にも講演会の後、帰り際に話をしていた若者達についていって一緒に飲むことになった。7歳くらい年下の彼らはまさしく「日本の未来は俺等が担っていく!!」と平成維新の会を結成した「熱い」男達だった。起業を目指し、真剣に自己の成長を求めて仕事をしている。なによりもお互いをライバルとして認めあいながらも尊重している姿はすがすがしかった。私の心意気も彼らに負けることはない。これからの日本と世界を担っていく同志に出会えたことは大きな財産だ。そうした熱意は確実に世界を動かしていく。こうした人材をもっと育てていくためにも熱意のある教育者を教育の場に引き抜いてくることは急務だ。楽天の元副社長が横浜の公立中学校の校長に就任した。企業のトップにいた人が公務員の環境になじめるか、IT企業のスピードについていけるかなど課題は多い。しかし、教育者の充実なくして日本の未来はない。そのためにも社会の熱意ある人々を教育の場に登場させ、社会との接点を作ることが近道だと思っている。


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    この記事に対するコメント

     みなさんコメントありがとうございます。

     コメントの中でサワイが「amuseとinterest」という2語でうまく表現してくれました。
     もちろん勉学においてはinterestが醍醐味であって、面白さは消費されるようなamuseではありません。

     今回エンターテイメント性という言葉も、両者の2項対立的な使い方ではなく「interestへ導くamuse」という意味で使っています。

     いくつか例を出しましょう。
     話し方ひとつにしても、魅力的でamuseな話し方と、眠くなるような話し方とでは、学生の意識の持ち方も全く違います。
     そして昔はあらゆるものが簡素で、例えば本も活字+簡単な挿絵のみだった時代から、フルカラーのビジュアルでデザインされた紙面、さらにはCGも含めた迫力ある映像のものがあふれかえっている現代では、学生の見ているものが全く違います。これでは今までのつまらない情報が記載されているだけの教科書を作っても、興味を惹かないでしょう。
     interestに導くために、話術も含めたamuseなプレゼンテーションがもっともっと利用されるべきだと思います。
     教師の話術と熱意が必要なのはもちろん、少なくともinterestに辿り着く前の学生にとっては、アカデミック=古茶けたハードカバーの本 という固定観念はもう時代錯誤なのではないかと思うのです。

     新庄とイチローの話しも例として出しましたが、これはまたリーダーシップ論にも話が波及しますのでこれはまた次の機会に書きたいと思います。
    じゅんぺい? | 2006/05/31 3:56 AM
    おつかれさまです。
    『感』のHIROです。
    昨日は有難うございました。

    すげぇでっけぇ〜気付きのある日記でしたね。
    自分は簡単にお話しましたが、教育をやりたいんです。
    今までの教育は
    〜進むべき道を与えるが連れて行くことはしない〜
    これで成り立つものでした。
    しかし、、、
    現状を見てみると進むべき道を与えることもできていないような気がするんです。
    連れて行くことはしなくてもいいが、きっかけを与えることはやっぱり必要です。
    そこには日記で書かれているようにエンターテイナー的なものが必要なんでしょう。

    熱い人がいなければ自分が熱さを全面に押し出せばいい。
    一緒に学ぶ姿勢が無ければ楽しさを教えていけばいい。
    簡単なことのようですが奥は深いです。

    俺は必ず自分らしさであるパッションを武器に教育をかえていきたいと思います。

    これからも色々指導してくださいね〜。
    では次回のテーマは『感』です。
    ぜひぜひ参加してください。
    HIRO | 2006/05/29 11:49 PM
    こんにちは。

    教育の現場にいる者としては、教員の採用のときに、いまだに研究業績が教育能力よりも重視され、自分の大学を出たものを自分のところで雇うという、いわゆるinbreedingがいまだに国立でも私立でも根強いのは嘆かわしいですね。

    ガチンコの公募をやってくれるところが、国立大学の法人化をきっかけに最近すこしは出てきたので、わたしも福岡の今の職場に仕事を得たわけですが。

    サワイさんのamuseとinterestの違いはいい所を突いていますね。しかし最近の学生、しかも理科系の学生だとよけいそうですが、すこしでも授業が教科書の内容を離れると無駄話と捉えるようです。人生の話なんかよりも、教科書を1ページでも進めてくれということですね。そしてわたしの場合だったら、TOEICのスコアが1点でも上がるような授業をしろと思っている人もかなりいるでしょう。

    だからinterestを呼び覚ましながら、解ったと思わせることが一番大切ではないかと思います。知的好奇心とそして自分が理解できるようになったという満足感をもたせることが、ただその場の寒い笑いを取るよりも、よっぽど顧客の満足度を上げることができるわけです。

    今は毎学期、学生による授業評価が行われるので、下手に学生を叱ったりできなくなっています。愛の鞭のつもりでも、今の若者は怒られるのに慣れていないから、そうは受け取れず、最後のアンケートですごい仕返しをされるんですよ。いやな時代になりましたね。

    外で若者を注意していきなりナイフで刺されたり、暴行を受けたりする危険性を恐れて何も大人が言えなくなったのと同様、教育の場でも教師が当たり前の礼儀や心がけを教えることができにくくなっているのです。

    ところで、そう、安藤忠雄でしたね。彼の『連戦連敗』(?)かな、そんなタイトルの本は彼が国際コンペに出して、負け続ける話が中心ですが、すごく励まされる本でしたよ。それからわたしの専門の話はちょっと意気がって専門的なことを羅列しすぎてしまいました。カッコつけすぎでした。

    じゅんぺいさんは、将来の希望をはっきり口に出していいですね。それと同じようなことを、20代の頃言ったら、ちょうど今のわたしと同じ年代の女性教授に「そんな生意気なことは他人の前で口外してはいけない」と叱責されました。

    ほんとに、そんな時代を生きてきて、今、学生に「熱いですね」といわれて、冷房を入れようとしたら、それは天気のことじゃなくて、わたしが「熱い」という意味でした。笑い話みたいでしょ?言った学生はそれをうらやましがって言ったようなのです。ボブ・ディランじゃないけど、「時代は変わる」ですね。
    cat's-eye | 2006/05/28 4:09 PM
    ホント、その通りだよね〜。

    Mac、google、hatena、mixi、、いま、魅力的だな〜って感じる企業には、そこで働く人達の熱意や夢、遊び心が垣間見えてるんだよね。
    Macなんて、シェアから消えかかってたのに、スティーブジョブ氏が戻ってからまた面白くなってきたしね(ジョブ氏の去年の年俸はたしか1ドルだかでしょ?たしか)。

    ジョブ氏の年俸の話しなんてバカでしょ?バカだなーって思う。そうやって笑っててさ、ふと自分のことを考えてみて、「やりたい事はあるのに、別の事をやって生活費稼いでる自分もかなりバカだなー。」って気づくのね。同じバカなら好きな事を楽しみ抜いちゃう方が得だな。って思っちゃう。
    結局そんなバカが、そういう熱意が人を動かすし、社会を変えちゃう。って思うよ。

    ただ、あまりに「俺は俺は」のポジティブ思考も考えものだとも思ってて、熱意が転じて、「自分の言ってる事は正しい!」とか、「これおもしろいだろ?面白いはずなんだよ!」なんて押し付けがましい事になるのは嫌だよね。そうならない様に相手に自分の考え、熱意を伝える為には、ある程度自己批判性も必要になって来て、どこか「自分もバカだよね。」って視点が入らないと相手は引くよ、きっと。

    教育のエンターテーメントって話しも同じ様なことが言えると思うけど、「じゃあ、面白い授業ってどういう授業なのよ?」って話しでさ。
    面白いにもamuseとinterestの2種類あって、前者は単に面白い、あははって笑って、あっても思い出し笑い、、後者も、面白い、だけど、あははって笑う自分のノドちんこにちくりと棘が刺さる感じで、何か引っかかる感じ。前者だと消費されちゃうよね。それだと持続性がないし、教育としては意味がない訳で、そこで求められてるエンターテーメントは後者の方だと思う。

    例えば数学なんて、世界で比較しても書かれてる内容なんて同じじゃん?証明されてる事なんかが書かれてるだから当然なんだけど、そこに「ほんとかよ?」って視点が常に教える側にないとダメなんじゃないかと。そうじゃないとただの説明になるし、その視点のないまま授業を面白くしようとするとギャグを言ったりする程度になっちゃうんじゃないかな。

    爆笑問題がどう言ってるのかは分からないけど、「読んでつまらない文章書いても誰も読まないよ」ってのはホントその通りなんだけど、amuseとinterestは履き違えないようにしないといけないとも思う。


    公立の教育の場に教育外の人物を選出するのは苦し紛れ感はあれど、起爆剤としてはいい事じゃないかと、、教育の場って本当は最先端じゃないといけないはずなのに、今の現状ではまるで正反対だからね。「そろそろ気づけよ!」ってさ。
    でも、本当は内部からの変化を望みたいんだけどね、、、なかなかね、、教育の場って閉鎖的だから。。今の所。


    変わらなきゃ!

    サワイ | 2006/05/28 12:49 PM
    熱意ある人は世の中にたくさんいるけれど、
    熱意のない人よりはだいぶ少ないように感じます。
    熱意があればあるほど、
    やりたいこと、やるべきことがどんどん増えて行く。
    全体の中の少数の熱意組が、教育の中でもたくさん活躍できるようになるには、
    もっともっとたくさんの熱意ある人が生まれてくる必要がある。
    ・・・それはつまり、熱意ある人の教育が必要ってことですが。

    自分の人生を生きて、経験を積み重ねて獲得する時間、
    獲得した知恵を他者に広める時間。
    熱意ある人はそれが同時進行なのが望ましいのかしら。
    かなりのパワーを必要としますね。
    きらきらと輝く人はみんなパワフルです。

    ところで、イチローのくだりですが、
    『クールに決める「記録に残る選手」の限界を感じ』というのは、
    ファンとして聞き捨てなりません。
    WBCの日本チームは、彼にとってすごく居心地がよく、
    感情むき出しにして振舞うことができた環境であったのではないかと思います。
    少年のような表情をしていましたね。
    マリナーズに戻ってからはまたクールなイチローで野球をしているのではないでしょうか。
    きねのん | 2006/05/28 11:21 AM
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