こころとからだの建築家BLOG

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本当の幸せってなんだろう?

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     本当の幸せってなんだろう?よくこうした言葉を耳にするが、人の最終的な目標は幸せになる事なのだろうか?

     生物学的に見れば、子孫を残し自らの遺伝子を残していく事が最終的な目標ということになる。しかしそれすら拒否してしまうのは人間だけではないか。自ら命を絶ち、子孫を残すことを放棄し、今の自分の存在だけを肯定する生き方は、自らが作り出した様々な観念の中で生きている人間だけが持ってしまった神の手なのかもしれない。

     最近読んだ本の中で、たまたまアーティストに関する本がある。「ただの私」オノヨーコと「芸術は爆発だ 岡本太郎痛快語録」岡本敏子 の2冊だ。オノヨーコと岡本太郎の2人は作風も違うし、年代も違う、その二人の共通点は世間から見れば完全なアウトサイダー。幼い頃の経験や海外への渡航にも似たような所がある、そして共通して持っていたのが徹底して「自分であり続ける」という意志だった。

     1911(明治44年)生まれの岡本太郎
     1933(昭和 8年)生まれのオノヨーコ
    ともに裕福な家庭に生まれたが、両親の愛情いっぱいに育ったという環境ではなく、幼い頃から自立的に育たざるをえない環境で育てられた。岡本太郎の母その子は歌人で小説家、仕事の邪魔になるからと太郎を兵児帯で柱に縛しばりつけ、泣きわめいても放っておいたという。オノヨーコも多忙な両親から一人離れ、鎌倉の別荘でお手伝いさんや家庭教師に育てられた。こうして2人は自立心を養わざるをえない環境で育っていった。

     そうして日本の学校にはなじめぬまま、太郎は18歳でパリへ、ヨーコは20歳でNYへと旅立つ。パリでの太郎は、ソルボンヌ大学で哲学や民俗学のマルセル・モースに教えを受け、ジョルジュ・バタイユ、ロジェ・カイヨア、モンドリアン、カンジンスキー、ル・コルビュジェらヨーロッパの知性の精髄ともいえる知的エリート達と親交を持ち、ヨーコもまた学習院大学時に哲学科で学び、NYのアーティスト達と親交を持っていった。こうした2人の背景は、2人の人柄や作品の奥深さにも表れており、一貫してあるのはヨーコの言葉にもあるように「私はただ私でありたい、と思って暮らしてきただけだ」というように、私はなにものなのか?という問いに素直に答える行為の現れが2人の芸術活動だったのだ。

     彼等の言葉に「幸せ」というような言葉は見られない。「幸せ」などという言葉は、陳腐に響くだけなのかもしれない。彼等にとって何が幸せかと問えば、「ただ自分である事」と答えてくれるような気がする。それほどまでに、自分を貫き通した人生を歩んできた2人なのだ。馴れ合いを嫌い、衝突の中に調和を見いだし、見た目の印象とはかけ離れた繊細さを持った岡本太郎。弱さを見せず、男が作った観念社会(金・地位・名誉)に立ち向かい女として自分に素直であり続けたオノヨーコ。彼等が自分を見つめ続けることができたのは「sense of humor」を持ち、自らの言葉で物事を見ていたからに他ならない。

     あなたにとっての幸せって何ですか?出世することですか?お金持ちになることですか?幸せな家庭をつくることですか?

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    この記事に対するコメント

    いや〜COOちゃんらしいコメントだね〜(^^)
    君は十分に幸せそうに見えるから大丈夫だよ!!
    じゅんぺい | 2005/08/05 7:59 PM
    幸せになりたいと
    かねがねずっと思っているのだけど、
    そもそもどういう状態だと自分が幸せなのかってのって
    けっこうわかってなかったりする。
    これって逆に言えば幸せボケなのかしら
    でもこれって問題だと思うのよね。
    coo | 2005/08/04 12:18 AM
     ヒトじゃない動物にマズローの話を当てはめるのは強引かもしれないけど、考えてみる・・・
    5段階めは、ボス猿になりたい!風太くんが立つ!なんていうことなのかしら?うーん・・・
    そうだったとしても、1〜4を飛ばす事はないだろうね。
     ヒトは1〜5の何を優先するか、その人しだいだものね。
    のぞみ | 2005/08/03 11:16 PM
     「マズローの欲求段階説※」のどの段階の欲求が満たされれば幸せであると思う事ができるか。岡本太郎やオノヨーコは第5段階である自己実現の欲求(自己表現、能力発揮、創造的活動)を満たされていたからそれ以上の欲求がなかったとも言えるかもしれない。ただ、彼等が特殊なのは、第二段階から第四段階までの欲求が抜け落ちている(もしくはその依存度が低い)点。ここで疑問なのは、より上位の欲求が満たされていれば、下位の欲求は満たされていなくてもいいのか?程度の問題こそあれ、これはYesであると思う。

    ※「マズローの欲求段階説」
    第1段階 生存の欲求(食欲、睡眠、性欲
    第2段階 安全の欲求(存在、生活上の安全、安定)
    第3段階 帰属の欲求(集団への帰属、他人との良好な関係)
    第4段階 尊重の欲求(周囲から認められる)
    第5段階である自己実現の欲求(自己表現、能力発揮、創造的活動)


    「しあわせ」と「happy」の違いは、受動的か能動的かくらいの違いかな?他者との関わりの中で感じる「しあわせ」と、自立した自己の満足度をあらわす「happy」
    なんとなく、そんな違いがあるような気がするけど。
    宗教的な価値観の違いもあるのかな?
    言語的な文化比較ってかなり興味深いと思う。
    じゅんぺい | 2005/08/03 12:03 PM
    幸せについて私もちょっと考えてたので一言。

    2,3日前、日本に10年以上住んでるアメリカ人女性と、お父さんアメリカ人でお母さん日本人の男性(2人はカップル)と話をしたときに、2人で会話するときには英語と日本語どっちをよく使うのか、という話題に。

    2人は、英語で表現しやすい状況や心情、日本語で表現しやすい心情や状況とかあるから、それぞれの状況に応じて、両方使うとか。

    で、その具体例にあがったのが、happy と 幸せ。

    「僕は幸せだなぁ〜(加山雄三風)と思うときは、I am happy とは意味が違うんだよねぇ〜」

    私はそれ以来、幸せの意味ってなんだろ?とか、幸せ、っていう言葉を英語で説明するとどうなるんだろう??と考えてた。


    幸せとは関係ないけど、もうひとつの単語は、なつかしい。これも英語ではしっくりくる単語が思い浮かばないようです。日本語をよく知っている英語圏の人は、英語を話しているときにでも、「なつかしい」だけは、日本語なんだよね。
     
    しらさき | 2005/08/03 10:17 AM
     幸せっていう感覚は大事だなあと思います。喜怒哀楽よりも、包容力のある大きな感情。思春期には、幸せ=甘ったるい、って考えていた気がするけど・・・。生活の中では、感情としてスケールの大きい「幸せ」はなかなか使えない言葉で、私は「HAPPY」を使って「幸せ」の照れ隠しをすることがあります。

     あなたにとっての幸せは?って難しい質問だねー。こんなときは閉ざされた質問方式に転換。
     あなたは今幸せですか?それはなぜですか?
    私は今幸せです。生きているからです。

     私は幸せになるために(幸せを目標として)生きてはいません。すでに幸せなので。
     今まで生きてきた中で一番のショックなことといえば中越地震ですが、傷ついた人たちに混ざって余震におびえているときですら幸せでした。こんなことをいうと、軽蔑的に「君は幸せ者だな(→知恵の足りない人物だな)」ってなことになっちゃうかもしれないし、それも否定できない現実ではあるけれども…。大切な人たちがそれぞれに気遣いあって共感して、協力しながら生活を立て直していく、そういうのも幸せを感じました。

     仕事で未熟児ちゃんたちと何年か過ごして、産まれること成長することがいかに単純ではないかが少しだけ見えた時、
    私を支え見守ってくれる人たちに感謝しながら、私は幸せだと思えるようになったのかもしれないです。

     書きながらマズローの欲求の段階を思い出しました。人それぞれ、ちがった幸せがあったりなかったりするんだろうなー。
    のぞみ | 2005/08/02 9:54 AM
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