佐藤可士和の仕事 − 銀座アップルストアの講演会
彼の作品の一部
などなど、好きなものを上げればきりがない私の今一押しのクリエーターが講演会をするとなれば行かない手はない。場所は銀座アップルストア。時間の10分ほど前に着いてみると、店の周りに長い列ができていた。席は85席だという。案の定、立ち見。しかも無料という事もあってか、立ち見も満員になろうかという盛況ぶり。人気の程が伺える。金曜の18時からなので、周りはデザイン系の学生ばかり。私も学生の頃からこうした講演会には足繁く通っていたものだと懐かしく思う(今でもよく行くけど(笑)
彼は自分の事を「デザインの医者」だといっていた。コンサルティングという言葉は嫌いだから使わないという。アーティストとは違い、アートディレクターには顧客がいる。建築に施主がいるのと一緒だ。その顧客が問題を持っていて、それを解決するためにアートディレクションを必要としているから、自分をデザインで問題を解決する医者に例える。その表現はかなり広告という彼の仕事の本質を突いていると思った。そしてバリエーション豊かな彼の表現手法とも通じるものがある。
今は亡きデザインの巨匠たちにはそれぞれ独自の世界があり、それの世界観を社会に植え付けるように仕事をしていた。しかし、巨匠がいなくなったと言われる現代において、そうした独自の世界観を持つ人は多くない。もてはやされるのは、固定化された世界観を持たない若い世代だ。彼等の仕事はいたってクール。そして器用だ。仕事のたびに違うアイディアを出しては捨てていく。いわば、消費されることを前提においた仕事の仕方だ。これをよしとするか、悪しとするかは難しい問題だが、ひとつ言えるのはこのスピード感がウケル時代なのだ。
そうした中で、佐藤可士和の仕事にはスピード感と世界観の両方が見て取れる。シンプルでストレートな表現手腕もさることながら、そのコンセプトメイキングのうまさは卓越している。逆に言えば、表現手法にこだわりすぎていないため、コンセプトがストレートに響いてくるのだ。
彼のスタンスは全くシンプル。「生活者たること」これが彼のスタンスだ。同じ事を「MBAでは教えない「創刊男」の仕事術」を書いたくらたまなぶも言っていたが、健全な消費者であること、普通の生活を楽しんでいる事、そしてそれらに疑問を持つ事、それこそがものづくりの基本だ。マーケティングやアンケートもそうした生活者としての自分の感覚を補填する資料でしかない。もののいい悪いもそうした生活者であれば、時代の空気を読む事ができるので自然と判断が付く。「マーケティングからは、ほどほどのものしか生まれない。大ヒットは出てこないのだ。」などと言われるが、そこにある世界観や新しい感覚が注入される事によっていいものが生まれてくる。
彼は今、明治学院大学や幼稚園のアートディレクションを行い、学校のブランディングにおけるデザインのあり方を実践している。日本でも遅ればせながらデザイン・ファッション・建築が、単なる流行からライフスタイルに根付こうとしている。佐藤可士和の生活者としてのスタンスは、ひとつのCMを作るだけにとどまらず、こうしたライフスタイルをデザインするところまで発展している。生活を楽しむことなくCMだけ作っていたのなら、こうした仕事はできなかったであろう。お金のあるなしではなく、暮らしを楽しむことこそが彼の成功の秘訣であったと言える。
■ 「こどもといっしょに、どこいこう!?」
ステップワゴンの楽しいCM&広告
■ AUのデザイン携帯インフォバーの
都会的CM&広告
■ キリン・極生、生黒の
シンプルなパッケージデザインと広告
■ キリン・チビレモンの
コンセプトメイキングとCM&広告
■ TSUTAYAのアイコン的ロゴと
グッズデザイン
などなど、好きなものを上げればきりがない私の今一押しのクリエーターが講演会をするとなれば行かない手はない。場所は銀座アップルストア。時間の10分ほど前に着いてみると、店の周りに長い列ができていた。席は85席だという。案の定、立ち見。しかも無料という事もあってか、立ち見も満員になろうかという盛況ぶり。人気の程が伺える。金曜の18時からなので、周りはデザイン系の学生ばかり。私も学生の頃からこうした講演会には足繁く通っていたものだと懐かしく思う(今でもよく行くけど(笑)
彼は自分の事を「デザインの医者」だといっていた。コンサルティングという言葉は嫌いだから使わないという。アーティストとは違い、アートディレクターには顧客がいる。建築に施主がいるのと一緒だ。その顧客が問題を持っていて、それを解決するためにアートディレクションを必要としているから、自分をデザインで問題を解決する医者に例える。その表現はかなり広告という彼の仕事の本質を突いていると思った。そしてバリエーション豊かな彼の表現手法とも通じるものがある。
今は亡きデザインの巨匠たちにはそれぞれ独自の世界があり、それの世界観を社会に植え付けるように仕事をしていた。しかし、巨匠がいなくなったと言われる現代において、そうした独自の世界観を持つ人は多くない。もてはやされるのは、固定化された世界観を持たない若い世代だ。彼等の仕事はいたってクール。そして器用だ。仕事のたびに違うアイディアを出しては捨てていく。いわば、消費されることを前提においた仕事の仕方だ。これをよしとするか、悪しとするかは難しい問題だが、ひとつ言えるのはこのスピード感がウケル時代なのだ。
そうした中で、佐藤可士和の仕事にはスピード感と世界観の両方が見て取れる。シンプルでストレートな表現手腕もさることながら、そのコンセプトメイキングのうまさは卓越している。逆に言えば、表現手法にこだわりすぎていないため、コンセプトがストレートに響いてくるのだ。
彼のスタンスは全くシンプル。「生活者たること」これが彼のスタンスだ。同じ事を「MBAでは教えない「創刊男」の仕事術」を書いたくらたまなぶも言っていたが、健全な消費者であること、普通の生活を楽しんでいる事、そしてそれらに疑問を持つ事、それこそがものづくりの基本だ。マーケティングやアンケートもそうした生活者としての自分の感覚を補填する資料でしかない。もののいい悪いもそうした生活者であれば、時代の空気を読む事ができるので自然と判断が付く。「マーケティングからは、ほどほどのものしか生まれない。大ヒットは出てこないのだ。」などと言われるが、そこにある世界観や新しい感覚が注入される事によっていいものが生まれてくる。
彼は今、明治学院大学や幼稚園のアートディレクションを行い、学校のブランディングにおけるデザインのあり方を実践している。日本でも遅ればせながらデザイン・ファッション・建築が、単なる流行からライフスタイルに根付こうとしている。佐藤可士和の生活者としてのスタンスは、ひとつのCMを作るだけにとどまらず、こうしたライフスタイルをデザインするところまで発展している。生活を楽しむことなくCMだけ作っていたのなら、こうした仕事はできなかったであろう。お金のあるなしではなく、暮らしを楽しむことこそが彼の成功の秘訣であったと言える。
この記事に対するコメント
ほんといいとこに気づくな〜☆同感です!
ま〜、お金はあればあったほうがいいけど(笑)
「デザインの医者」でも「医療の医者」でもなにする人でもいいなと思うのは気どりなく近くに感じられる人。いい顔してる人♪
おもしろいなと思うことがよくある。
じっくり見入ってしまうものも。
話題になるものは、同じ人が手がけていたりするんだね。