こころとからだの建築家BLOG

住まいの統合医療で50兆円にせまる医療介護費を半減させる!!
<< October 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< もっとスキンシップしませんか? | main | ベトナム・サパの黒モン族 − 東南アジア縦断80日間 >>

価格の正当性− <値下げマンション>賠償求めた住民らの上告棄却 最高裁

0
    Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <値下げマンション>賠償求めた住民らの上告棄却 最高裁
    2審・東京高裁判決(03年11月)は「公団が値下げ販売をしない義務を負うとはいえない」と請求は退けたが「値下げ直前に購入した人の不公平感は察するにあまりある」と、公団を批判していた。

     以前からこのニュースには関心があり、最高裁がどんな結論を出すのかも注目していた。このマンションは隣の区にあり「値下げ販売反対!!」の横断幕が派手に出ていたのも知っていた。こんな状態では高い値段で買った人と、安い値段で買った人の確執が生まれてしまい、住みにくいマンションになるのは必須だ。このマンションは私の卒業高校と同じ学区なので、もしかしたらこのブログを読んでくれている人の中にも関係者がいるかもしれないが、反論を覚悟してあえて私の意見を書きたいと思う。

     みなさんはこの裁判についてどう思うのだろうか?自分が買ったマンションが売れ残り、買った値段よりも数百万円安く販売されたとしたら同じ行動に出るだろうか?

     家が一生の買い物だという事に異論はない。しかし、一生の買い物と、日常品の買い物の間に考え方の違いがあっていいのだろうか?例えば、今日見つけた服が明日からのバーゲンで安くなるかもしれない。しかし、明日になったらもう売れてしまってないかもしれない。そうした葛藤の中で買い物をすることはよくある。もし、バーゲン前に買ってしまい、安くなった値段を見たときにはかなりがっかりする。しかし、それで店員に文句を言う人がいるだろうか?

     モノの価格は本来、需要と供給のバランスが釣り合ったところで決定する。今の先進諸国では定価的な概念が共通認識としてあるが、プレミアものは定価よりも高くなり、供給過剰なモノはバーゲン価格となるところは、まさに需要と供給のバランスで決まっている。欲しいものに自分が納得する値段を付け、売りたい値段で売る。ものの売買とはそういう契約だ。

     今回の裁判は、そのバーゲンセールが合法か?と問いかけているに等しい。高い値段で買った人はその値段が定価だと思っている。しかし、公団は定価では捌ききれずに値段を下げた。そのやり方に問題があったため、裁判にまで発展してしまった可能性もある。しかし、みんなでゴネればいくらか得するかもしれない、という気持ちで裁判まで持ち込んだとすれば、それはお門違いもいいところだ。自分で納得した値段で購入して契約したのに、それが値下がりしたとすればそれは自分の見る目がなかったと思うべきなのに。

     第三世界を旅すると、そこには定価という感覚がほとんどない。モノを買うとき、まず値段交渉する事に慣れていない旅行者は彼等のいいカモだ。こうした国は物価が日本よりもかなり安いので、日本の定価感覚でいると騙されても気づかなかったりとういのはよく聞く話だ。

     しかし今回の裁判は日本における売買の話だ。今回の裁判で原告である住民が勝訴するなどという事になれば、また次から次へと同じ裁判が起こったであろう。原告に裁判を起こした意味が果たしてあったのか?自分の意見をここに問う事でそれを確認してみたい。
    NEWS | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | -

    この記事に対するコメント

    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    http://jpo.arch-i-tect.com/trackback/175707
    この記事に対するトラックバック