こころとからだの建築家BLOG

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伊勢という町の民族意識 その3

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     伊勢神宮の中には、主に内宮と外宮があり、四キロほど離れている。距離的にはたいしたことないので、天気がよければ観光案内所でレンタルサイクルを借りるといい。多少駆け足で回れば、一日で別宮も含めて、ほぼ網羅できる規模だが、出来れば一泊してゆっくり楽しんで欲しい。今回は天気が悪くて見る事が出来なかったが、朝靄の中の夜明けなど背筋がぞくぞくするほどいいらしい。


    ■宇治橋から五十鈴川を望む


    ■内宮の参道 誰もいない夕景

     内宮と外宮では祭られている神が違う。通常は外宮を参ってから、内宮に行くらしい。規模も内宮の方が大きく、川と山を取り込んだシークエンスは素晴らしい。鳥居をくぐって、檜の橋を渡るのだがこの時の川の風景がとても素晴らしい(写真参照)。明治時代に河岸を整備しているらしいのだが、新緑の山を取り込んだ川の景色は見る者を魅了する。橋を渡りきり、右折するとメインの参道が見える。この参道は川と平行している。この参道がまた絶妙な幅で、かつ山を借景としているので、見た目以上に長く見える。(写真参照)さらに先に行くと、水屋がある。今は工事中でこの水屋で手口をゆすぐが、、内宮では五十鈴川の川の水で手口をゆすぐ。川の景色だけではなく、川の水を参拝に取り入れた素晴らしい計画だ。そのまま道成に進むと社務所があり、天皇が来たときに泊まる場所もここにある。しばらくすると樹齢1000年を越す三重県の県木になっている神宮杉の間から正宮が垣間見られる。その姿はシンプルでありながら力強い。さらに先に進むと正宮の敷地となるのだが、基本的に塀で囲われているため正宮の内部をのぞく事は出来ないばかりか写真も撮る事が出来ない。現在正宮が経っている敷地は平成五年 第六十一回目に建てられた敷地で、そのすぐ左側に平成二十五年に遷宮を迎える敷地がある。この二つの敷地を二十年ごとに移動するのが遷宮だ。神宮の建築様式は 「唯一神明造り(ゆいいつしんめいづくり)」といい神宮だけに用いられる。柱はすべて基礎なしの掘っ立て式、萱葺き屋根の平入り造り。装飾はほとんどなく、無彩色。簡素で有りながら力強さを感じ、荘厳な雰囲気さえ持つ。日本には寺社仏閣が数え切れないほどあるが、これほどまでに無駄をそぎ落とした形式美を見せるものはほかにはない。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは「究極的、極致的形式」と絶賛。これが二十年おきに全く新しく生まれ変わる。パルテノン神殿は2000年以上の時を経た今、観光に来る人はいても、参拝する人はいない。それに対し、伊勢神宮はいまだに詣でられている。それは二十年に一度の遷宮が続けられ手いるからに他ならない。ここでは日本の原点を体感した。いや歴史の重みといった方がいいだろうか。今までの寺社仏閣とは空気が違う。

     関東の小学校の修学旅行では日光に行くのと同様、関西の小学校は伊勢に行く事が多いらしい。小学校時代はこうした文化にあまり興味がない場合が多い。しかし修学旅行で装飾華美な東照宮を見た人と、質素で荘厳な伊勢を見た人ではその人のメンタリティもかなり違ってくるのではないだろうか。そのくらいの経験を得られ、歴史・神話を知る事が出来ててとてもよかったと思う。
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