こころとからだの建築家BLOG

住まいの統合医療で50兆円にせまる医療介護費を半減させる!!
<< December 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 伊勢という町の民族意識 その1 | main | 伊勢という町の民族意識 その3 >>

伊勢という町の民族意識 その2

0
     実は三十路をすぐ前にしながら伊勢に行ったのは今回が初だ。神話を信じる信じないはともかく、日本という国の原点とされる伊勢神宮を三十前に見てみたかった。そして結果的には、見に行ってすごくよかった。この年だから理解できる事。感じられる事。それを体感できたと思う。実際今まで行った日本の観光地の中ではベストだと思う。世界遺産でいえば自然遺産ではなく文化遺産が好きだ。そうした私自身の好みと、建築的な興味。ガイドの郷土愛、2000年以上も続く歴史、1300年前に考えられたシステム、神宮に仕える人々の穏やかな人柄、赤福を中心とした町づくりの成果。そうした伊勢の思想を大切にしてきた人々。等々、感動した点はあげればきりがないが、全ては伊勢を中心にトータルに作り上げられてきた街であり、伊勢が中心に回っているという“唯一の強さ”が一番のポイントだ。そこには偶像崇拝とは違った神道の強さが見える。


    倭姫宮
    左側−現在別宮が建っている敷地
    右側−次に遷宮される際に建てられる敷地


     しかし、実は伊勢神宮は世界遺産には登録されていない。二十年ごとに立て替えてしまうため、形式は全て1300年前のままなのだが、建物は二十年ごとに建て替えてしまうというのが世界遺産として認められない理由らしい。しかし、こうした遷宮のシステムを1300年前から作り上げている事実は、1300年前の建物がそのまま残っている事実以上に価値があると思う。図面等は全くなく、口述で伝えられてきた伝統はまさに無形文化財であり、その表出が二十年ごとの遷宮という儀式になる。物質ではなく、情報として残していくというシステムは実は人間のシステムと全く同じだ。人は1300年間生きる事は出来ない。しかし、遺伝子を残す事により1300年後にまで自分の情報を伝え残す事が出来る。1300年前に垂仁天皇(神武天皇から数えて第11代目の天皇。日本武尊(やまとたけるのみこと)の祖父)がそうした発想で遷宮のシステムを考えたかは定かではない。しかし、こうしたシステムは現在見てもすごくモダンだ。驚異的ですらある。二十年という期間も、技術の保存と、信仰を意識させるという意味では絶妙な期間だ。この時期の平均寿命は約五十歳。十代で一回目の遷宮を迎えると、三十代で中間管理職として二回目を迎え、五十代で棟梁として三回目の遷宮を迎える。人間の生きる事の出来るスパンを考えた期間設定だと言える。これがハレー彗星のように七十年に一度、もしくは百年に一度ではこのシステムも長続きしなかっただろう。

     二十年に一度の遷宮の際、建て替えられた建物のその後はどうなるのかガイドさんに聞いてみた。スクラップ&ビルドをしていたのか?答えを聞いてびっくりした。素材を大切にするという意志はしっかりシステムの一部として取り入れられていた。例えば内宮本殿の棟柱は、次回の遷宮の際に内宮入口の鳥居として使われる。木材は二十年のうちに劣化した部分を削り取れば、中は綺麗なままだ。そうして全ての木材の二十年後から先の行き先が決まっているという。神宮司庁の公表はないらしいが、伊勢だけにとどまらず、二十年おきに場所が地方にも移り、百年後か二百年後か分からないが、大きな棟柱が最後は小さな表札にまでなるという。限られた資源を大事にし、素材を徹底して使いこなすリサイクルの概念は実はそんなに目新しい事ではない。むしろ昔から当たり前の事としてなされてきたのだ。
    (つづく)




    ■バスの優先席 このネーミングいいよね(^^)
    CULTURE | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | -

    この記事に対するコメント

    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    http://jpo.arch-i-tect.com/trackback/149885
    この記事に対するトラックバック